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マガハより発売 箕輪本をちょい公開

8月末に僕の本がマガジンハウスより発売予定です。

いやーまじで手がつかない。著者の気持ちがよく分かりました。

仕事の合間に書こうと思ってもスイッチが入らないから、まとまった時間を取らないと難しい。

最初の2項目だけ書いた。これ40個くらい書けば一冊かな。なにも参考にならない本w

トラブルに身を投げろ!安易な道を踏み外せ!

編集者としての片鱗は高校生時代からすでにあった。

 僕は、高2の時に『深夜特急』に夢中になり、草加でやっていた著者である沢木耕太郎の講演会にすぐさま駆けつけバックパックにサインしてもらった。そして早速イタリアとスペインへ一人旅に出かけた。

 スペイン滞在中、マドリードで列車爆破テロが起こった。旅行会社から生存確認のレターが届き、街は騒然としていた。状況が分からない非日常な雰囲気に胸騒ぎを覚えた。でも次第に海外一人旅にも慣れ、「あれ『深夜特急』っぽくなく、普通に終わっちゃったな……」とどこか物足りなさを覚えていた。

 しかし帰国直前のミラノ空港で、事件は起きた。日本行きのフライト直前に、パスポートを紛失したのだ。乗るはずの飛行機は飛び立ち、英語はまったくしゃべれない。当時はスマホもLINEもグーグルもない。その瞬間、最悪な不安に襲われる中で、アドレナリンが噴き出す音がたしかに聴こえた。そこから本当の旅が始まったのだ。

 まずは、日本人の空港職員をつかまえて「高校生なんですけど、パスポートをなくして帰れなくて」と声をかけた。警察に盗難届を出すようアドバイスを受けた。ところが警官を前にして盗難届も書こうとしても「I lost passport! あれ、『なくした』の過去形ってこれで合ってるのかな」という低レベルぶりだ。英作文は苦手だった。

「テロの影響で警備員がたくさんいるから、今は空港が一番安全だ。パスポートを再発行してもらえるまで空港のイスで寝泊まりしなさい」というアドバイスに従い、僕は映画「ターミナル」のトム・ハンクスのように空港ホームレスと化した。
 当時は春休みで日本人が空港にはウジャウジャいた。「高校生なんですけど、パスポートもオカネもなくて困ってるんです」。

恐る恐る声をかけると、「なぜ高校生が一人でいるんだ」と驚きながら、日本人観光客は面白いほど小銭を恵んでくれた。次第に声をかけることに抵抗もなくなった。もはやこのビジネスモデルで裕福に暮らしていけるとすら思った。
 
こうして集めた種銭を使って空港内のマックでビックマックを買って食べた。バスや電車を乗り継いで領事館に出かけ、証明写真を作って渡航書という臨時パスポートを発行してもらった。そして日本へと無事帰還することができたのだ。

 段取りどおり進む予定調和には、何の魅力も感じない。あっさりと終わりかけていた初の海外一人旅は、パスポートをなくした瞬間から、自分の物語になっていった。

 大学時代に出かけたインドでも、僕は混乱の中にいた。土産物屋を装った店に巧妙な手口で誘いこまれ、「宝石を買わないとここから出さないからな」と小部屋に監禁されてしまったのだ。気が遠くなるほど暑い部屋で、「コーラを飲め」と言われた。「見知らぬ人に渡されるドリンクには睡眠薬が混ざっている」と『地球の歩き方』には書いてあった。「飲め」「飲まない」を何度も繰り返し、いったい何時間軟禁されていただろうか。「このままだとマジで殺されるかもしれない」。

そいつを必死で押し倒し、全力で脱走した。今思えば相手の体は痩せっぽちで最初から力づくで脱出すればよかった気もする。しかし当時は足がガクガク震えながら、命からがら逃げだした。

しかし、そこで思ったのは「今すぐネットカフェを探してミクシィ日記を書かなきゃ」。こんなおもしろい体験をしたのだ。一刻も早く旅行記を書き殴り、日本の友人たちに読ませたい。下手すれば殺されていたかもしれないのに、僕の脳内は「この体験を誰かに伝えたい」という衝動で疼いていた。恐怖より高揚感が勝っていた。

 失敗やトラブルに前のめりで突っ込みたい。冷や汗と摩擦、恐怖や絶望をエンタメに昇華したい。脳内にアドレナリンが噴き出し、誰かに伝えたくてたまらない。

編集者などという仕事は善悪や倫理など関係ない。自分の偏愛や熱狂が抑えきれなくなって、ほとばしって漏れ出したものが作品に乗って世に届くのだ。

 世の中と水と油のように分離している才能や原石を発見し世界にぶつけたい。放火魔のように世間に火をつけ、やじ馬が群がる時には、他の場所に火をつけに行く。

僕のやっているのはそんな仕事だ。だから、あらゆる事故やトラブルはガソリンにすぎない。無難に生きても何も生み出さない。自ら狂って道を踏み外す。道を踏み外した先にこそ、まだ見ぬ景色があるのだ。

フルスイングで悪ふざけ

 秒速で1億稼ぐ「ネオヒルズ族」与沢翼。あるとき一世を風靡した成金だ。

 与沢の存在はテレビで知った。六本木ヒルズで暮らし、ロールスロイス・ファントムやフェラーリを乗り回す彼を見た瞬間「これは面白いやつがいる」と独特の匂いを嗅ぎ取った。双葉社という会社で広告営業をしていた当時の僕は、すぐさま与沢とのアポイントを取った。

「3000万円いただけたら、イケてる雑誌を作りますよ」と口からデマカセを言ってみたところ、さすがは与沢翼。即決した。

 3000万円もの製作費をぶんどってきた僕は意気揚々と会社に戻った。「よくやった!」という賞賛の言葉を掛けられるとばかり思っていたのだが、会社からは「そんな危ない金持ってくるな」と怒られてしまった。与沢翼で検索すると「詐欺師」「元犯罪者」などという情報が無限に出てくるのだから、当然なのかもしれない。

僕はただちに与沢翼という人物がどれだけ魅力にあふれているかをブログに書き綴りプリントアウトし、社長のデスクの上に置いておいた。今考えると狂気の沙汰だが、社長の心は動いた。「もういい。お前がそんなにやりたいならやれよ」とゴーサインが出た。

ところが今度は、社内の編集者が誰もやりたがらなかった。もう自分でやるしかない。広告営業の仕事しかしたことがなかった僕にはメールに書かれている編集用語もいちいち調べないと理解できなかった。

「表紙は誰に撮影してもらおう。レスリー・キーしかいねえな」
 レスリーの名前を出すと、社内の人間からは「この企画でレスリーにオファーを出すこと自体、会社として恥ずかしいからやめてほしい」と反対された。こっそりレスリーの事務所に電話をかけると、「ウチもレスリーにしかできない仕事をやらせたいんで」と意外なことに快諾された。

 ところが企画は順風満帆ではなかった。撮影前日になって先方の社長から「『与沢は絶対撮らない』とレスリーが言っている」という電話がかかってきたのだ。

「『彼を撮ったら、自分が今まで築き上げてきたキャリアが全部壊れてしまう』」と言っているそうなのだ。「いや、こっちだって、あっさり快諾されて驚いてたんだ」と思ったが、ここで引き下がるわけにはいかない。

数十人のスタッフが動いている。未経験かつ最年少の僕にスタッフが付いてきてくれているのはレスリーが撮るという確約があったからだ。とん挫したら僕は大ホラ吹きになり、雑誌自体も空中分解する。冷や汗を流しながら、それでもどこかワクワクし始めていた。

レスリーにこう言った。賭けだった。「与沢にとって1円稼ぐことは、アスリートが0・1秒記録を縮めるのと同じなんだ。善悪ではなく自分の欲望を追求する。レスリーが写真にかけてるものと同じじゃないですか。あなたにしか撮れない」

モザイクなしの男性ヌードを展示して逮捕された経験もあるレスリーは与沢翼を見て言った「あなたは怪しいけど、僕も怪しい外人だ。いい写真を撮ろう」。

こうして幾多の困難を突破して「ネオヒルズ・ジャパン」は完成した。最初は半信半疑だったスタッフも最後は一致団結し、異様な熱気を放っていた。

ところが発売日当日、また予想だにせぬ修羅場が襲う。「与沢が専属運転手への暴行容疑で書類送検」という速報が流れたのだ。
「与沢翼書類送検。編集長を務める雑誌は創刊日に廃刊へ」という記事がネットに上がった。テレビにも取り上げられ始めた。

終わった。雑誌が回収になるのではないか、会社から処分を受けるのではないかという最悪の結末が頭をよぎった。ここで逃げ出したら本当に終わってしまう。僕は勇気を振り絞って、自ら社長室の扉を開けて「これはプロモーションなんです」とハッタリをかました。「やるなあ、お前!でもあまり恐ろしいことしないでくれよ」と社長に言われた。

さすがに警察を動かすプロモーションなどできるわけはない。社長はバカのフリをしてくれたのかもしれない。

しかし「ネオヒルズジャパン」は結果的に3万部が完売。今では伝説の雑誌となり、定価の3倍以上で取引されている。ハッキリ言って悪ふざけの企画だった。

しかし全力でやりきった。思いっきりバットを振れば、熱狂は伝播する。バカにしていた人たちも巻き込まれ、現象が起こる。無難にやっていたら人はついてこない。危うさに人は魅せられる。地面に頭から突っ込む。偶然に足が出る。その繰り返しで全力で駆け抜けるしかない。

まだ発売は二ヶ月後。本当に書けるのかな。

こんな僕のボスの渾身の新刊を是非読んでください。ひりつくような人生を体験できます。

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