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「死ぬこと以外かすり傷を体現してるヤツがいる」 ミノトゥク運転手・まるちゃんのリスクを恐れない生き方 【夕刊ミノ】

こんばんは。箕輪編集室 ライターチーム根岸千紗都です。6月18日(火)の夕刊ミノをお届けします。

みなさんは「ミノトゥク」をご存じでしょうか?

「ミノトゥク」とは、箕輪編集室のオーナー・箕輪厚介さんが自家用車として購入したトゥクトゥク(東南アジアで走っている三輪車タクシー)です。

その運転手を務める丸山紘平さん(箕輪さんから愛称:まるちゃん)は、今年(2019年)の4月に箕輪編集室に入会。3日後にはミノトゥク運転手になっていたのだといいます。

今回は、箕輪さんのそばで異常な熱量で成長し続ける丸山さんに、ミノトゥク運転手として、丸山紘平として、それぞれの思いを伺ってきました。

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〈撮影:根岸千紗都〉

全身でリスクを背負えるかどうか 

待ち合わせ場所にアジアンテイストのトゥク装(正装)で現れた丸山さん。左手のApple Watchには、箕輪さんのツイートが通知されるようになっているといいます。


――丸山さんは箕輪編集室に入会して3日でミノトゥク運転手になったそうですね。

丸山さん:そうです。入会したときから、箕輪さんのツイートの通知をオンにしていて、「どうすれば箕輪さんに近づけるか」を頭使って2日間考えていました。そんなときに箕輪さんがミノトゥクを購入したんです。「これは運転手しかない」と思った。最初から運転手になることが頭にあったので、ツイッターでトゥクトゥク運転手の募集があったときにはすぐに反応できました。

――ミノトゥク運転手に応募した方は、他にもいたんですか?

丸山さん:いた。そこで応募してる人たちを見ると、みんなお金とか時間とか...そういう質問してる人がすごく多かったんです。「やりたい」とか「やらせてください」って言わないんです。「時間とか指定ありますか?」って。その時点で、僕からしたら終わってる。

「やります」って言うだけでもだめで、もっと念を押さないといけない。だからぼくは速攻でダイレクトメール送ったんです。それこそ箕輪さんに癒着するため。

――熱と勢いが伝わってきます。なぜお金はもらわないんですか?

丸山さん:箕輪さんからしたら、体力あって時間あって金もいらんってやつが一番欲しいじゃないですか。それに、僕はその先を見ていて、ここでお金をもらっても何にもならないからです。箕輪さんは、僕のリスクを背負う覚悟を見ていたと思うんですよ。

どれだけ背負ってくれるか。正直、お金もらってもうたらリスクなんかないでしょ。「なんでお金もらわないの?」って、みんなに言われるんですけど、ぼくからしたらそこは見るべき点じゃなかったんです。

――大局観を持ってお金よりも大事だと思う部分を見ていたと。

丸山さん:そうですね。結局、箕輪さんから「連絡します」ってDMが返ってきたんです。

その後の動きは何も連絡が来ていない状態でしたが、翌日に箕輪さんが出演する予定になっていたラジオ番組があるのを知っていました。そこで、ご挨拶に行く意味も兼ねて、ミーティング終わりの箕輪さんにアポなしでハイボール渡しに行って、わざと箕輪さんの目の前に座ったんです。

そしたら「初対面なのにグイグイきすぎだろ」って怒られたあと、「よろしく」って言ってもらえて。勢いで行ったのもありましたが、ぼくという人間を覚えてもらうために必死で考えて動きました。

それからは、自分の不安を解消したい気持ちで、トゥクトゥク用の服を整えたり、名古屋でトゥクトゥクの運転修行をしたりしました。

「たった一人の熱狂」で人生が変わった

丸山さん:僕、いまでこそ箕輪さんの運転手やってますけど、実はもともと見城さんが好きだったんです。

――最初から箕輪さんが好きで箕輪編集室に入ったわけではないと。

丸山さん:そうなんです。僕は中学、高校ともスポーツバカで。大学でもあんまり勉強してないんですよ。単位は取れるように頑張ったんですが、それ以上がなくて。本も全然読んでいない学生だったんです。

でもあるとき、大学のラグビー部で出会った消防士の先輩に憧れて、「僕も消防士になろう」と勉強しまくったんですけど、結局、消防士試験は落ちたんです。「ここまでやって落ちたんやったら、もうええわ」とスッパリ諦めたときに、「あ、 “元 自衛官” っておもろいな」って思いついたんです。

――急展開ですね。しかも、入る前から “元” って。

丸山さん:そうです。それで2年間ひたすら自衛隊の組織で染まって、働いたお金を貯めて羽ばたこうと思って。周りの友人たちがみんな金使いまくってるなか、結局2年間で350万円くらい貯めました。

だけどそのころ、将来が見えなくてめちゃくちゃ憂鬱だったんです。そのときに見城さんの『たった一人の熱狂』っていう本を読んで衝撃を受けました。

「いままでの努力は努力とは言えない。このままじゃあかん。」って。

それと同時に、「まだまだいける。このまま終わる一般人とちゃうぞ」って、一気にマインドが変わった。それから見城さんを追い求めるようになったんです。

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↑死ぬカスかるた
〈撮影:丸山紘平

先がどうなるかなんてやってから気づくもの

――すごいですね。そのお金を持って上京を?

丸山さん:そういうことですね。上京してからは、見城さんが『たった一人の熱狂』で「憂鬱なことを選べ」と言っていたのを思い出して、めっちゃ高い授業料の英会話教室行って英語の勉強してみたんです。

――何かベクトルが違う気が(笑)。

丸山さん:そうなんですよ。ほんまいつも見切り発車。結局、しばらくしてから「あれ? 2人に近づきたくて来たのに。これ英会話してる場合ちゃうな」と。

そうやって失敗してることがけっこうあります。これって、周りにしてみれば「またかよ」って思われるかもしれません。

だけど、僕に言わせれば、先がどうなるかなんてやって気づくもの。むしろ柔軟に対応してるんやって感覚なんですよ。

だけど多くの人には、そんな感覚ないんですよね。常に吟味吟味なの。そうじゃなくて、「おもんないな」「これは先ないな」っていうのは動いてみてから気づく方が、体感から得た判断基準があるからいいと思うんですよね。

人と違う道で突き抜ける

――箕輪さんと見城さんの2人に近づきたくて東京へ来たんですね。

丸山さん:そう。見城さんは前からほんと好きやったし、当時から見城さんが認めた編集者として、箕輪さんのことも知ってたんです。でも、今年の4月3日に箕輪編集室に入ったきっかけは、「見城さんに少しでも近づけるなら」っていう思いから。

箕輪編集室に入るに当たって、人と自分を比較したときに「何が通用するのかな」って考えたんですよ。

それが「体力」と「時間」だった。そして「人柄」。この3つは負けへん。

みんな賢いじゃないですか。だからぼくは違うところにいくのが手っ取り早いなと。それが初めから頭にあったんです。弟子入りするには、運転手が1番早いと思いました。

――入会したきっかけは見城さんでしたが、箕輪さんが好きになったのはやはり運転手になってから?

丸山:実際、初めのうちは箕輪さんに対してすごく表面的だったんです。だけど、あるときミノトゥク走らせてると突然「このままじゃやばい」って自己嫌悪に襲われて。箕輪さんのことも知らんのに、見城さんに飛び越えるってどうなのかと。

箕輪さんを知らんとあかん。それで、知っていくうちに感じたんです。「この人エグいな...」って。

その時には、自分の中で見城さんの存在を超えて、箕輪さんを大好きになってました。

鮮やかな空回りの連続

――SNSアプリ「755(ナナゴーゴー)」でも何かあったとか?

丸山さん:僕が見城さんに対してSNS上でかなり軽率に絡んでしまったんです。

見城さんからは「他者への想像力の欠如」を指摘され、箕輪さんからは「おまえのアピールのために、トゥクトゥクを買ったわけではない」と。そのリプライを見た瞬間に「やってもうた...!」って。

「これはほんまにやばい。とにかく謝らなあかん」って思ってすぐ謝罪したら、箕輪さんからは「いいよ」と。

――さすがにかなり焦ったんですね。

丸山さん:ですけど、2人に怒られる言葉には心がこもっていて「俺を成長させようとしてるんだ」って感じたんですよ。厳しい目で見てもらえることっていうのは、めちゃくちゃ幸せなことです。

そんな感じで、今でもそうですけど鮮やかな空回りの連続です。

失敗したそのときは、ものすごく反省するしめちゃくちゃ落ち込む。でも、もっと深く考えて、必ずポジティブに変えていくんです。

――近いからこそだと思いますが、度々怒られているイメージはあります。でもすべて転換しているんですね。

丸山さん:他にもあって。箕輪さんが後部座席で眠っていたとき、箕輪さんの次の予定もあるけど、僕は起こせずに1時間も違うところを運転していたんです。そのときもすごく怒られました。

だから、飲み会のときに勇気振り絞って隣に行って、箕輪さんに「すいませんでした!」って謝りました。すると箕輪さんが身体をこっちに向けて「まあ今思えば、(丸山さんから見て)言っていい人と、だめな人がいるから難しいよね。いつもありがとう」って握手してくれて。

そこから、なんか勝手に距離が縮まった感じがしています。このときは、箕輪さんとはじめて人間味のある話ができたときなので、よく覚えているんです。

「箕輪さんは背中で感じる」 丸山さんの修業の旅路

――丸山さんが箕輪さんを師匠と仰いで学ぶ姿勢がすごいです。

丸山さん:ミノトゥクって、狂介の歌を中心にずっと曲を流してるので、風と音楽でうしろの会話が全然聞こえないんです。だから堀江さんとかは耳元で話してくれるんですけど、箕輪さんはボソッ...て言うから聞こえへん。だからもうね、背中で感じる。目を見たらあかんから。

そうしていたら、箕輪さんが講演で僕のこと喋ってくれてるんですよ。「死ぬこと以外かすり傷を体現しているヤツがきた」「おれのミノトゥクを私物化しようとしているヤツがいる」って。これがめっちゃ嬉しい。

――入会してから1ヶ月経ったいま(取材当時、5月中旬)までを振り返るとどんな変化がありますか?

丸山さん:今まで表面的なものしか見てなかった自分が、人に深く入ることで人の奥まで見えるようになった。視力があがった。視野が広がった感じです。それが一番大きい。

いまは、まさに他者への想像力をつける修行中ですね。箕輪さんがどうやったら快適にできるか考えること。まだまだ全然足りないので。これからです。


*     *     *


インタビューも終盤に入ったころ、箕輪さんからメッセージが。

「トゥくれる?」

ミノトゥク運転手は、駆け足でその場を後にしました。


テキスト/根岸千紗都
編集/友永大智金藤良秀

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お問い合わせ:minowa.et@gmail.com

箕輪編集室公式Twitter



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