【後編】出版直前インタビュー 宇野常寛独白! 日本の現状を「民主主義」「政治」「グローバル社会」の視点から考える「遅い」インターネットの必要性
出版直前インタビュー前編で、宇野常廣さんの新著『遅いインターネット』は、ここ数年宇野さんが手掛けているプロジェクト活動のマニフェストだとお伝えしました。
「遅い」インターネットというキャッチーな言葉が単なるキャッチフレーズとして流行し、人々が考えない方向にいくのは本末転倒。そうではなく「遅い」インターネットを通じて、物事をじっくりと考える人を増やすことで、日本や世界をいい方向へ僕は向かわせたい。
今回は、「民主主義」「政治」「グローバル社会」の視点から、総合的になぜ今「遅い」インターネットが必要なのかが頷ける事例を宇野さんに聞きました。
今直面している日本の現状
宇野:今の日本は、平成の30年間で変わることを拒み続けた結果、発生したいくつもの問題に悩まされている状態です。これは、政治的にも経済的にも文化的にもあらゆる方面に及んでいます。
もちろん、みんなが変わらなきゃと思っていた30年でもありました。僕はその30年で思春期と青年期を過ごしているからよくわかります。でも、結局、何一つ変わらなかった。
日本は30年間、閉じた相互評価のネットワーク内で、みんなで大喜利をして、みんなが限られた周囲からのポイントを稼ぐことに夢中になって過ごしてしまいました。その結果、世界から完全に置いていかれ、ものすごくつまらない国になっているのが現実だと思います。
2020年の東京オリンピックはその1つの象徴だと思いますが、前回1964年の頃とは状況が全く違いますよね。
前回は復興から高度成長へというダイナミズムのなかにあり、俺たちは戦争には負けたけれど、経済で勝ち上がっていくんだ。経済で平和な豊かな国をつくっていくんだという野心に燃えた時代でもありました。もちろん当時も計算してオリンピックを招致したとまでは思いません。けれど、このタイミングでオリンピックが開かれるなら、ドサクサに紛れていろいろやってしまえという良い意味での世界と戦う野心に燃えていた時代だったのだと思います。
ところが2020年はそういうのが全くない。
オリンピックが開かれれば、なんとなく若者が元気になるんじゃないかとか。なんとなく土木関係が景気よくなるんじゃないかとか。そういう薄っぺらい願望だけが空回りしちゃっているんですよね。その結果、うっかり招致しちゃったオリンピックのダメージコントロールが延々と続いています。
これは、閉じたネットワークのなかで、大喜利にばっかり夢中になっているからに他なりません。閉じた村のなかで、自分が良いポジションにいくためにはどうすればいいかを考えてばかりいるのが、今の日本のプレイヤーだといえるでしょう。
たとえば国家が表現の自由を脅かすような重大な動きが起きた時も、「このままだとあいつがヒーローになるから引きずり下ろせ」とか「このエリアのボスは誰だ」とか。そんなことばっかりやっていて、問題そのものがほぼ議論されなかった。これはあくまで一例で、あらゆるジャンルでそんなことが起こっているんです。
コミュニケーションのためのコミュニケーションだけがどんどん膨らんでいって、問題そのものが議論されない。そんな言論空間が定着している。そのことが民主主義の決定力や産業の育成とかに悪影響を及ぼしているのが今の日本です。
「遅い」インターネットから見る「民主主義」のこれから
宇野:民主主義好きな人って、民主主義をすごくロマンチックに語りますよね。それ僕はよくないと思っていて。異なる意見を持った人同士が、対話の果てに妥協点を見出しましたとか、人々がどんどんデモに行ったり投票に行くと世の中が良くなりますとか。それは8割方正しいんですけどそんなこと言ってる「だけ」じゃなにも変わらないとも思うんですよね。
民主主義はリスクヘッジの思想だと思っています。なんだかんだいって、他の制度よりは暴走リスクが低いんです。うっかりヒトラーのような独裁者を出しちゃうこともあったけれど、それでも相対的に暴走リスクが低いのは間違いないと思います。だから当面は問題があるものの民主主義でなんとかやっていくしかないんです。
当たり前のことだけれど、民主主義は放送技術や映像技術もない時代からあるもので、経済構造が変わるとか情報技術が進化するたびに、微修正していかなきゃならないものなんですよね。
今、明らかに、既存の民主主義はインターネットポピュリズムに耐えられない。やっぱり人間は情報を受け取るだけでなく、発信するのが気持ち良い生き物です。そうすると、どんどんどんどん発信する快楽に酔った人間が、フェイクニュースを拡散したり排外主義に走ったりする。インターネットポピュリズムは、テレビポピュリズムと比べて求心力が強力だから、その影響力も桁違いなんですよね。
アラブの春の顛末が良い例だけど、インターネットポピュリズムに民主主義っていう制度は耐えられなくなっている。
だから僕は、ほんと申し訳無いけれど、少なくとも民主主義において選挙が持つ決定権を下げるべきだと思う。そして本に詳しく書いたけれど、選挙以外の他のボトムアップの回路を併設することによって、民主主義を半分は諦めて延命させるべきだと思います。
「遅い」インターネットから見る「政治」の打開策
宇野:僕は、日常生活の延長上に政治があればいいなと思っています。
今の政治は、非日常的なお祭りのように選挙の投票に行く状態。普段あんまり感心もなく専門的な知識も無い人を選挙に動員して、民主主義を成り立たせています。そして、その限界にぶち当たっている。
たとえば縁日で、お祭りの雰囲気に飲まれてリンゴ飴などをうっかり買っちゃった経験は誰しもがあると思うんです。でもね、考えてみてください。リンゴ飴っておいしいですか? あれって非日常的な雰囲気に判断力を失ってるから買ってしまうものだと思うんですよね。もちろん、リンゴ飴が好きで日常的にリンゴ飴を買う人とかならいいんですけど、そうでないのなら、リンゴ飴の屋台を見ても「お祭りで神輿を見学したら美味しいレストランに行こう」とかちゃんと思えることはとても大事だと思います。後者の方が、圧倒的に判断力が高いですよね。
政治は、お祭りにして盛り上がればいいってものではない。
僕は、日常生活の延長上に政治を置くためにも、もっと仕事で得た専門性を民主主義に繋げる回路をつくるべきだと思います。たとえば、クラウドソーシングのサービスに仕事で関わってきた人が、その知見を生かして民泊の規制についてルールメイキングに参加する、なんてことがあっていいと思うし、実際に情報技術を用いてこうしたあたらしいボトムアップの政治参加の回路を導入している例もあります。こうしたことはあくまで一例ですが、僕は情報技術を用いて政治を日常に引き寄せること、市民の職業的な専門性を通じた政治参加の回路を設けることが重要だと思います。
「遅い」インターネットから見る「グローバル社会」の捉え方
宇野:この20年くらいで世界はどうなっているかというと、たとえばアメリカ国内の格差は広がっているという見方ができるけれど、アメリカとベトナムの格差は非常に縮まっています。
グローバリゼーションが進行すると、いわゆるかつて新興国とか後進国とか言われていたようなアジア・アフリカとかの人達は経済成長するので生活水準が上がります。その代わり、彼らから搾取することによって成り立っていた戦後の勝ち組の人達、いわゆる20世紀後半に栄えた重工業社会を営んでいた先進国では、新しい産業に適応できた人と適応できなかった人との間に格差が広がる構造でもあります。
新しい産業に適応できなかった人はどんどん没落している現実があるから、グローバリゼーションとか情報産業なんてくそくらえだ!とトランプが支持されたり、ブレグジットが支持されたりすることが起こっている側面がある。
2016年にトランプが当選した日、僕のFacebookのタイムラインには、似たような投稿がずらりと並んだ。それは六本木や渋谷のIT企業に務めている人や、その周囲のエンジニアや起業家の人たちで、みんな口を揃えて、それこそハンコを押したようにこう述べていたんですね。「自分のシリコンバレー(とかニューヨークとか)の友人がみんなトランプの当選を嘆いている。しかし大丈夫だ。僕たちはすでに新しい境界のない世界に生きている。アメリカが嫌なら、ロンドンに、シンガポールに、東京に来ればいいじゃないか。僕たちグローバルな情報産業の担い手は、どこでも働けるのだから」みたいなことを、ほんとうに何人も書いていた。
これを見て僕は頭を抱えたんですよ。彼らの言っていることは正しい。でも、彼らは分かっていない。彼らの新しいエリートのこういう意識がトランプを生んだんだ、ってことをまるで分かっていないなと思った。
あの人たちは世界の壁を無くせと自分たちは言っているし思っていると認識しているけれども、その意識こそが、壁を作っていることを認識できていないんです。
今はむしろ、グローバル化によって世界が広がったとは軽々しく言えない状態です。むしろ、狭くなっています。もともと同じようなことを考えて、同じようなものが好きな人としか出会えなくなっているんです。もちろんそれにはメリットもありますが、やはりそこには罠がある。それをどうやって後戻りさせることなく克服していくのかを具体的に考えることが大事だと僕は考えていますね。
そういうことは、グローバル化にともない世界中で起こっていると思います。そしてそれはもう戻らない。家族の縛りとかご近所づきあいは、それなりの理由があるから捨てられてきたことだと思います。
だから、本当の意味での広がりをどう獲得していくのかを考えることが、必要なんだと思います。
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以上、いかがでしたでしょうか。
今回2回にわけて宇野さんインタビューをお届けしました。
「速さ」がもてはやされる時代に、「遅く」と言われることにとまどいを感じる方もいるかもしれません。
「遅さっていうのは、遅いこと自体が目的じゃないんだよ。もちろん受け取った情報はじっくり考えた方が良いし、背景も調べた方がいいと思うよ。今のインターネットは速すぎるからね。踊らされるまま促されるままに思考してコミュニケーションを取るのは、何か自由をシステムに受け渡しちゃっているんだよね。そこでちゃんと自分のペースを保てることのほうが、クリエイティブなことは生まれてくると思うんだよ」
インタビュー中、宇野さんはそうおっしゃっていました。
「遅いインターネット」を通して、本当の自由を手にいれることを宇野さんは応援しているのだと感じさせてくれる取材でした。
ご興味を持たれた方は、“宇野さん節”でもぜひ『遅いインターネット』をお楽しみください!!!
テキスト/土居道子
写真/森川亮太