13_駒月麻顕02

「己の欲望はどこにある」 ただひたすら問い続けろ!

周囲のことは我関せず、ただひたすら我が道を行く。
その反面、彼女に叱られれば、素直に耳を傾ける。
一見強面だが、実際に触れあえば、意外と礼儀正しく、空気を読む。

矛盾の塊だと思っていたがそれは違った。彼は欲望に素直なだけなのだ。
常識という尺度で測った時に、その姿勢は時として矛盾に映るのかもしれない。


箕輪編集室メンバーの紹介企画。映画「箕輪大陸」の制作チームメンバーで、オンラインサロン「駒撮」のオーナーを務める駒月麻顕さんのインタビュー2回目をお届けします。
今回は、彼の考える「美しさ」の定義、そして自身がオーナーを務めるオンラインサロン・「駒撮」について聞きました。


1回目の記事はこちら

「オモシロイ奴」と「無礼な奴」の境界を行く

柳田:破天荒に振る舞っているように見えて、空気を読むべきところは読んでますよね。

駒月:箕輪大陸を作っている時にメンバーから「駒月はチキンレースでギリギリのところまで行く人間だ」と言われたことがあります。

僕はいつも許されるギリギリのところまで行くんですよ。たぶん、やってはいけないことと、やっていいことの境界線を行くのがうまい人間なんだと思います。

柳田:そのあたりは箕輪さんに似ているような気がします。あの人も破天荒に見えて、押さえるところはきちんと押さえてるじゃないですか。
ぶっちゃけ、駒月さんは箕輪さんにかなり可愛がられている印象がありますが。

駒月:みんな箕輪さんを崇拝しすぎなんじゃないですかね。あの人は自分を崇拝する人は好きじゃないですよ。友達みたいなノリの人が好きなんです。

僕はもともと自分よりも少し年上の世代の人を相手にすることが得意だったんです。その人の年齢と人となりを聞いて、好きなことを当てるのがすごい得意だった。

もちろん彼はとても忙しい人なので、時間には最大限配慮するとか、最低限のモラルをもって接するようにしています。ただ、これは箕輪さんに限らず誰に対してもそうしてますよ。

柳田:へえ。なんか意外です。あんまり人に気を使わない人なのかなって思ってました。

駒月:僕は付き合う相手のことはメチャメチャ気にしますよ。少し前までは、新しい人に会いに行く時に「あの人はこれが引っかかるだろうな」っていうロゴやデザインのTシャツを着ていくようにしてました。実際に会って、そのロゴやデザインが話題になったりするじゃないですか。

人と会う時は、相手がどういう人で、何に興味があるのか、家を出る前に死ぬほど考えますもん。相手の時間をとっているんですから、そこに最低限の礼儀はあるべきなんじゃないかと思ってます。

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(実際に、取材依頼したDMのやり取りはメチャメチャ丁寧・・・)

「無駄」や「不完全」なものこそ美しい

柳田:なんかイメージとギャップがありますね。ツイッターを拝見して思うことは、子供も好きじゃないですか。あと、奇抜な格好してかっこいい動画や写真を撮ったかと思ったら、一般的な幸せを手に入れたいとか言ってみたり。

キャラ違くないですか?

駒月:そもそも僕は東京に向いていないんですよ。いずれは故郷の岐阜に帰りたいと思ってるんです。

すげーいいですよ、田舎は。時間の流れる速度が都会とは全然違う。
僕は朝起きて、バイクを洗車して、走り寄ってくる甥っ子に対して「おお〜来たか〜」なんて言って、タバコ吸いながら、一人でりんごを丸噛りしてる感じが好きなんですよ。りんごを噛りながら、昔通った小学校の通学路を歩いて、「ああ、いいなー」って思いながら校舎へ行ったり、それが僕にとっては幸せなんですね。
オシャレな人みたいに「南国のビーチでゆっくりと」なんてノリは僕にはまったくいらないんですよ。

柳田:なるほど。

駒月:僕が岐阜で過ごしている時間なんて、何にもならない時間じゃないですか。でも僕はその無駄が好きなんです。

東京での生活はお金が大事、時間が大事と、ひたすら効率的で無駄がないように感じますよね。正直、僕には合わないです。もしそれが人間的な生活というのであれば、金もいらないですし、人間関係もいらないですね。そう断言しますよ。僕は。

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柳田:無駄だとか余白だとか、不完全なものをいかに楽しむかということですか。

駒月:そうです。だから無駄を省こうとする人間は大嫌いですよね。無駄な部分にこそ、本当のクリエイティブがあるんです。そういった無駄、いわゆるおふざけにこそ本気で取り組まないといけないと思ってます。おふざけをおふざけとしてやるのは高校生の文化祭まででいい。

いかに真剣におふざけに取り組むことができるか。

それができなくなってしまったら、箕輪編集室や駒撮なんかも、大学生のサークルと変わらなくなると思ってますけどね。

「駒撮」は”美しい”写真を撮り続けるサロンだ

柳田:駒月が立ち上げたオンラインサロンの「駒撮」は、そういった駒月さんの思想を反映した組織なのでしょうか?

駒月:そうですね。ただ、もっと正確に言うと、「駒撮」は”美しい”写真を撮り続けるために存在するサロンなんですよ。

柳田:分かります! 「駒撮」の方々が撮っている写真をツイッターでよく見かけますが、みんなキレイですよね。


駒月:嘘でしょそれ。

柳田:へ??

駒月:己への問いが全然足りないですよ。

”美しい”って何やと思います?
他人の喜ぶ写真ですか?
SNSに投稿して反応がある写真ですか?
誰かに感動を与える写真が「美しい」写真ですか?

僕はそういう"他人の目"が基準になっているものは全部違うと思っていて。

柳田:え、違うの?

駒月:僕は写真は不完全なメディアだと思っているんですよ。写真には音楽のような本能を揺さぶる迫力はないじゃないですか。絵のような空想を創れる可能性もない。動画のように情報を詰め込む時間軸もない。
だから、たかが写真で「人の心を動かす」なんてことは、残念ながらほぼ不可能だって考えてるんです。

柳田:写真ダメじゃん・・・。他人を感動させられないと考えているのに、駒月さんは何で写真を撮ってるんですか?

駒月:他人の心を動かすことは難しいですよ。でも自分を基準に考えてみた場合、自分が感動できる写真は絶対にあるはずなんですね。僕はこれこそが”美しい”写真だと考えているんですよ。

他人の目や感想なんて関係がない、自分が「良い」と思うことをまず基準として定めたものこそが美しいんです。

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柳田:まず自分を感動させるってことですね。

駒月:そうです。この"美しさ"を見つけるためには視覚で捉えている範囲で、自分の本能に従って最もシャッターを切りたいと感じたものにレンズを向ける。これを、ただ続けるんですよ。そうして撮った写真を見返すと、自分の本能が求めているものが必ず見えてくるはずなんです。

それは見たことのない風景かもしれないし、マシンの動きかもしれない。鮮やかな色かもしれないし、色気のある暗さだったりする。

これが見えてきたら、なぜ好きなのかをひたすら問い続けないといけないんです。誰でもない、自分の心に問い続けないといけないんですよ。
そうすると自分にしかない独特な視点、唯一無二の尖り、変態性が浮き出てくる。

柳田:僕も少しだけ写真を撮りますけどそんな感覚になったことないです・・・。

駒月:それは撮り方が全然足りないし、己への問いかけも足りないですよ。

いわば自分の変態性を写真という不完全なメディアを使って表現するんです。
そういう過程で生み出された写真に対しては、まず自分が熱狂しているはずなんです。そして、一人が熱狂していれば必ずどこかに同じように熱狂する人間が存在するんですね。これを信じて、ひたすら撮り続けて、発信し続ける。狂い続けなくちゃいけないんですよ。

みんなが美しいと感じるものは、熱を持たない集団によって作られたまやかしだと僕は思ってます。

柳田:ま、まやかしって・・・

駒月:ひたすら撮ることで自分は何に心が動くのかを発見し、その発見されたものをさらに追求し、自分一人の世界を作り続けなくちゃいけない。

写真という「視覚のみにしか訴えられない欠落したメディア」というレギュレーションの中で、自分が美しいと思うものを作り続ける。
これこそが「駒撮」っていうオンラインサロンなんです。

柳田:(あ、あつい・・・・)


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テキスト/柳田一記新井大貴
取材・編集/柳田一記、柴田佐世子
写真/藤澤俊秀
バナーデザイン/惣島厚

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