コミュニティとは居場所である
いよいよ明日、「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ」佐渡島庸平が発売されます。
この本は、昨年の10月にコルクラボと箕輪編集室で合同合宿をしながら、
コミュニティとは何かについて12時間以上語り合った話をベースとし、佐渡島さんがそれを一回すべて白紙にして書き直したものです。
僕にとって、そして箕輪編集室にとって、この合宿はターニングポイントになりました。
箕輪編集室はこの頃、「死ぬこと以外はかすり傷」というキャッチコピーを掲げ、圧倒的熱狂集団として前のめりで増員を重ねていました。
この合宿で佐渡島さんは
「熱狂は持続しない」
「安全と安心の確保が最優先」
「目的があるのはチームで、コミュニティとは居場所だ」
など、その時の僕とは真逆の考え方を話しました。
僕は「何を生ぬるいことを言ってるんだ、出木杉君が」と思っていました。
しかし、たぶん僕の中で、
箕輪編集室の一種カルト的なこの勢いは持続しないというのを、どっかで感じていて、
合宿から帰るなり、この佐渡島さんの教えを取り入れていきました。
目的から居場所へ
それまでの、目的ありきの集団から、みんなの居場所となるコミュニティへの大転換でした。
・ただ遊ぶだけの部活を作ろう
・頑張る人もいれば、ただいるだけの人もいていい
・いま活躍してる人は新人を育てることを考えよう
など、それまでの弱肉強食路線からの大規模な方向転換でした。
結果、これが大きな効果を生みました。
それまで、僕の背中を追いかけてきたメンバーが、むしろ自ら声を上げて勝手に走り出すようになりました。
「運営チームを作りたい」
「活動費が欲しい」
など逆に提案が来るようになり、僕が旗を立てなくても動き出す生態系になりました。
あるメンバーが、
「箕輪さんのためじゃなくて、箕輪編集室のために頑張っている」と言っているのを聞いたとき、
属人的なファンクラブを脱して、もはや完全にコミュニティ化したなと思いました。
コミュニティは、こういうものだという明確な定義はありません。
ただひとつあるとしたら、
そこにいるメンバーが、誰に強制されるわけでもなく、
それぞれの「やりがい」や「居心地の良さ」を持って、そこにいる状態なのだと思います。
コミュニティ作りに正解もゴールはありません。
でもいくつかの、ヒントはあります。
僕はそれを佐渡島さんに、すごく学びました。
この本には、その学びが全て込められています。
居場所としてのコミュニティ作りをする上で是非、読んでみてください。
明日からもこの本について書いていきます。