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徹底的に価値を創る。徹底的に価値があるように見せる <クリエイトするということ>

ボイスメディア「Voicy」で2019年10月14日に放送された箕輪厚介さんの「ミノトーーク! クリエイトするということ」 をお届けします。

頭でっかちになるよりは

どうも、箕輪です。
今、アベマプライムに向かうタクシーの中です。

最近、Voicy全然更新してません。ランキングも見なくなって、飽きちゃってました。

西野亮廣さんに先日会ったとき、「僕いろいろ考えるの止めて、西野さんがやったことを次の日やるようにしたんですよ」と言ったら、「だからVoicy始めたんですね! 超かっこいい、潔い!」って西野さんめっちゃ笑って言ってくれました。

ただ、自分で考えて行動してないから、単純に粘り腰がないです。「いいや、止めよ」ってなります。これは欠点。まあそれはそれとして、頭でっかちになるよりは、信頼してる人のやってることを次の日にやっちゃう戦略はありかなって思います。


村上隆さんの言葉は、何よりも面白い

最近、アーティストの村上隆さんに密着して、話を聞く機会がありました。

村上さんは、「この人の言葉は全部読みたい」と僕が思っている数少ない内の一人です。そういう人は、他に高城剛さん以外何人もいないと思います。今回急遽会えることになり、本当に光栄でした。

村上さんは幻冬舎から『芸術起業論』と『芸術闘争論』を出していて、僕は学生時代にその2冊を読み衝撃を受けました。両方とも異常に面白くて、名著。それ以来、村上さんの展覧会は必ず行ってます。

何よりも面白いのは、インタビューをはじめとする村上さんの言葉です。普段絶対に読まないような雑誌も、村上さんが載ってたら必ず買って読んでます。

実は最近、「何のために今やるんだろう、本作るの飽きたな」と、若干おやすみモードに入ってました。村上さんの話を聞いたことで、自分がやるべき理由を再確認できたり、これからもやり続けるに値することだと腹落ちできた気がしてます。


アートとは何か

村上さんが言うアートとは、「自分唯一のオリジナリティを発見し、世界に対して、作品で表現する」こと。

自分唯一のものとは、例えば、この地球上で自分だけが持つコンプレックスだったり、自分だけの固有の考えだったり、自分だけの何か表現できないドロドロしているもの。それらから目を背けることなく追求して、向かい合って、掘って掘って掘りまくった末に発見されたもの。

そんな自分のオリジナルなものを、作品という形で世界に表現すること。それがアートだ、と村上さんは話してくれました。

これはまさに本もそうで。売れ筋が何かとか、こうやった方がいいみたいなことは、これだけ情報が手に入る時代にやろうと思えばいくらでもできます。

でも、人の心を揺さぶるものは、ルーティンや真似からは生まれない。なぜなら、固有のものにこそ、人は共鳴するからです。

世界中の誰も理解していないと思っていた、言語化できないこの自分だけの想いを。この作者も分かっているんだと思えた時、その作品にどうしようもなく心を震わせる。きっとそういうことだと思います。

僕がやってるビジネス書は、そこが詳しく言語化されています。小説は言語化され切ってないけど、物語という形に乗せて伝えていて。アート作品になると、もはや何も言語化されていないのに、心を震わせる何かが伝わる。

もちろんジャンルによって、どこまで具体的でどこまで抽象的かは異なります。ものすごくオリジナルでユニークなものを掘り出して、作品という形でクオリティ高く表現できた時、その作品は人の心を揺さぶる。これがアートなんだと思いました。


ブランディングとは何か。そしてクリエイトとは何か

村上隆さんのことを知ってる人はよく分かると思うのですが、彼がすごいのは、そもそも現代アートとは何か、西洋芸術とは何かを徹底的に勉強しているところです。単純にいいものを作って、俺はアーティストだって言ってる人では決してない。

自分の絵は、自分の作品は、その続いてきた文脈の中にどう置けば一番輝くのかを徹底的に考え尽くしている人です。だからすごい。

僕は、アートの話をしている場で使う「ブランディング」という言葉は非常に軽いものになってしまうことは分かっていたんだけど、あえて「ブランティングって何ですか?」と村上さんに聞いてみました。そしたら、「ブランディングっていうのは、価値あるように見せることだよ」と。あまりにも身も蓋もない明快な答えが返ってきました。

「価値があるように見せることがブランディング」。変にこねくり回さず言い切られていたこの言葉が、めちゃくちゃ僕の中に響きました。

徹底的に価値を創る。もう一方で、徹底的に価値があるように見せるというある種の演出をする。この両方を異常な回数往復してやり切るのが、クリエイトなんだなって、実感することができました。


作品群が、固有な自分を表現する唯一のもの

ここまでの話は、実は言語化できてる時点である種誰でも真似できるというか、固有ではないんですよね。

僕が編集長をしているNewsPicks Bookは、29冊くらい出版して222万部くらい売れて、売上33億円くらいです。正直、普通の産業と比べたらわずかですし、チームでやっています。ただ、一編集者が手掛けた2年間の本の実績と考えると、結構インパクトがあるのは間違いなくて。なんとなく、そういうことかなと、改めて実感しました。

「自分の固有のものを世界に対して表現するには、作品群でしか表現できない」と。

「これが僕です」という本を一冊出すよりも、試行錯誤して毎回発見したり毎回飽きたりしながら、何かしらの作品を出し続ける。極めて固有といえる自身の日々の営みや、今まで生きてきた歴史や世界の歴史を逆に掘って、そこで発見したその瞬間の最大値を作品として出し続ける。

こうして生み出された作品群を振り返って見た時に初めて、世界に対して固有な自分を表現した唯一のものとして、説得力を持つ気がしています。

だから、説明できる状態……たとえば「この本はこういうことを伝えようと思います」「うちのレーベルはこういうことを世界に表現したいんです」と言える時点で、ある種狭い世界に収まってしまっているのかもしれません。

出し続ける作品は本に限らず、箕輪編集室のあらゆるクリエイティブもそうです。僕がそんなにコミットしていないものを含めて、僕の作品群に並ぶと思います。もしかしたら作品に限らず、コミュニティもそうかもしれない。箕輪編集室というオンラインサロンのコミュニティ内のやり取りや空気感まで含めて、社会に対する僕自身の表現かなと思っています。

そう考えると、「なるほどな。だったら、自分がやる意味があるな」と思いました。

本作るの飽きたなぁ、別に売れちゃうしなぁとか言ってたけど、そういう次元ではなく。固有のものを表現して、誰かの心を震わす原液を創るのは、僕がやり続けるに値することだなって思った、という話です。さよなら。


この内容を音声で聞きたい方はこちらから。
https://voicy.jp/channel/946/57102


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書き起こし・編集:土居道子
写真:池田 実加
校正:大村祐介

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