「炊飯器業界への苦言と当たり障りのない会話への考察」【箕輪厚介】
炊飯器業界への苦言
どうも!箕輪です。
Tシャツとポスターは明日改めてやるんでちょっとバタバタしてるんで今日まで無しでお願いします🙏
えーとですね、炊飯器のお米が腐ってました。
保温してんのに腐んのかいって思ったんですけど、それをTwitterで聞いたら「保温してる方が腐る」とか、「保温はダメですよ」とか言われまして、保温して腐るっておかしいんじゃないかなと思ってます。
保温してたら腐るっていうのはね流石に聞いてなかった。
普通保温したら腐らないと思うので、炊飯器メーカーの人は保温のボタンの横に[保温した方が腐ります]って書いといてください。
多分分からない人多いと思うんですよね。
受け手の気持ちを考える
なんかこれ本とかでも同じなんですよね。
今鞄持ちに僕のYouTubeを昨日の配信からnoteに転載するのを今日からやってもらってるんですよ。
そんな大したあれじゃないですけど送ってきたものを僕にしては結構珍しくしっかり目のフィードバックをしました。
すげー雑に文字起こしとか要約を送ってきて。
いやそもそもなんだけどさ、あらゆる仕事の基本だと思うんですけど、自分が受け取り手だったらどう思うっていう風に考えればいいんだと思うんですよ。
正解なんてあるわけないんですけどね。
本だったら自分が読者だとしてこれ読む?みたいな、
ご飯でもこれ自分が食べる人だったら食べる?みたいな、
noteとかもなんか改行が全くなくてガーッて文字だけ詰まっててさ、いやこれ読者だったら読む?みたいな。
こんな文字ばっか詰まってんの頭痛くなるわってならない?みたいな。
あとタイトルとかも「YouTube何月何日」とか。
いや読者がYouTube何月何日かそのYouTube見ようって思う?
みたいなことをフィードバックしたんですよ。
まあ意外と真面目にやるとそうなっちゃうのかもしれないんだけど。
自分が受け手って考えると
「それじゃ読まないからタイトルつけよう」
とか
「いやこんな文字ばっか詰まってたらしんどいから改行しよう」
とか
「改行していっぱいあっても読みたくないからたまに小見出し入れよう」
とか思うはずなんですよね。
だから自分が読者だったらって考えたり、他にいくらでも参考にすべきnoteがあるからそれをただ真似してもいいと思うんだけど。
まあなんか「こういう風にした方がいいんじゃないかな」と考えるのが仕事だと思うんだけど、
炊飯器に関して言ってもその保温のボタンの横に[保温してる方が実は腐るんです]っていうのを書かないと分かんない人がいると思うんすよね。
「あ、そうなんだ!保温してる方が腐るんだ!」ってなるから。
保温のボタンの横に「冷凍した方がいいです」って書いといた方がいいじゃん。
こういうことなんだよな。
これでもうその炊飯器はバカ売れですよ。
こういうことができるのかできないのかっていうのが大事ですよ。
当たり障りのない会話についての考察
全く話変わるんですけど昨日考えてたことがあって。
僕パーティーとか会合とかのあの初対面の感じすごい苦手なんですよ。
初対面の人同士の
「あ、どうもー」
みたいな、
「何されてるんですか」
とか、
「あーなんか多分知り合いの共通の友人いますよね」
「ああやっぱりFacebook見るといますよね」
みたいな間柄の会話あるじゃないですか。
僕めちゃめちゃ苦手で大体話さないんですよ。
別にすごい嫌な顔とかしないんですけど。
なんか話しかけられても「あ、どうも」「あ、そうですよね」「はい、えーすごい」で終わるというとこがあります。
なんでかって言うと、初対面の会話がめちゃめちゃ苦手だなと思ってるんですよ。
なんか「ういっす」みたいなすれ違いとかならいいんですけど。
エレベーターも若干しんどいですよね。
トイレで隣とか微妙な30秒くらい時間あるとキツイですね。
そのちょっとしたパーティーとか1時間くらいある移動とか本当に苦手で。
そうやって要はめちゃめちゃ深い話をするほどの時間とか間柄ではないんだけど、「どうも」っていう挨拶だけで終わるのも微妙というこの間ををつなげるための会話みたいなことが本当にあるじゃないですか。
僕それができる人っているなあと思うんですけど僕は本当にできなくて。
で、この前インド行った時にそういうのが多かったんですよ。
本当に知らない人たちの企業とかが20社ぐらい参加してて、みんな業種もバラバラなんで「あーどうも」みたいな感じの会話があるんですね。
移動と視察も長いし。
やっぱ俺そういう会話できないなと思って「はーい」とか「そうですよね」とか言ってもう明らかに 一言で終わっちゃってたんですよね。
逆にずっと話してる人達とかの会話見て「すごいなぁ」と思って観察してたんですよ。
なんでその話ができるのか、そして僕がなぜできないのかを観察してて。
それがどういう会話なのかっていうと、『お互い事実を知らないにも関わらず推測をし合うことにより結局事実がわからないまま話が続く』ということなんだよなぁと思いました。
よくある会話
例えばなんですけど、バス乗ってる時に街並みに企業のロゴが見えるとするじゃないですか。
ほぼ初対面のAさんとBさんが1時間ぐらい隣の席だか一応大人として会話しなきゃいけないと。
でなんかロゴが見えたとして、
A
「あのロゴって〇〇に似てますよね」
B
「確かに、〇〇ってああいうロゴでしたっけ」
A
「いや多分最近こういう風に変わったんですよ」
B
「あーなんかああいう形流行ってますもんね」
A
「そうですよね。なんかうちもロゴを変えようと思ってて若手社員がああいうロゴいいんじゃないかみたいなこと言ったりするんですよ」
B
「ロゴ変えるんですか。」
A
「いやまだ変えるかわかんないですけど、そういう話はあったりして」
B
「あーでもうちも変えるみたいな話聞きました」
A
「えっ御社も変えるんですか」
B
「いやまだわかんないんですけど、変えようかなーみたいなのを会長が話してるのを聞いて」
A
「えーすごいですね!今何十周年でしたっけ?」
B
「ちょうどあと2年したら30周年です」
A
「うちまだ10周年になったばっかりで、、」
B
「いやでも10周年ってすごいじゃないですか!」
A
「いやでも30周年ってすごくないですか」
B
「いやいやいやうちはたまたまですよ」
みたいなこういう会話、、、、、
いやいや、
そもそも何のロゴだったの?
そもそもそのロゴは何に似てたの?
ロゴを新しく作るの作んないの?
そんなこと言う必要ないんだけど、架空の会話でどこにも存在しない会話なんだけどさ。
なんか結婚式とか初対面の話さなければいけない場面とかで話す内容ってだいたいこういう会話ですよね。
僕隣で下向きながら聞いてるんですけど、
「いやいやどっち?」
「結論出ないんかい」っていつも思ってます。
そういうの多すぎますよね。
いってらっしゃい。