人生という名の迷路に迷っている人へ【夕刊ミノ】キャリアデザインチーム
こんばんは。箕輪編集室の佐々木壱です。
6月13日(土)の夕刊ミノをお届けします。
今年の4月からキャリアデザインチームで始まったイベント「人生の歩き方」は、次回で4回目となりました。このイベントでは「様々な人の生き方や価値観に触れて、みの校生メンバーの人生の選択肢を増やそう」というテーマで開催しています。
みの編の大人たちが、どんな人生を歩んできたかを聞くことによって、自分の人生に不安を抱えている人が、何か一歩踏み出すきっかけになってほしいです。
今回の「人生の歩き方」第4回目となるイベントは、大根さんにお話していただけることになりました。
大根さんに依頼した理由は、「ワーケーション」と呼ばれる新しい働き方をしていることと、新しい働き方のその背景には、どのような人生があったのかに凄く興味があったからです。
この夕刊ミノでは、6月3日に行った事前インタビューから明らかになった、大根さんの人生の分岐点についてご紹介します。
バンドマン時代の苦悩
ー大根さんの中で、自分の人生の分岐点といえば、まず何が浮かびますか?
1つ目の分岐点は、バンドをしていたことです。高校卒業後、仲が良い5人組メンバーがいたんですが、案外みんな演奏が上手で、たまたま好みの楽器も違ったため、遊びから始めたのがきっかけです。バンドをやっていくにつれ、観客も増え新しいステージに進むことが出来ました。
しかし、有名になるにしたがって周りからいろいろ言われることもあり、凄くプレッシャーを感じました。そのうち、メンバー間で罪のなすりつけあいが始まり、メンバー同士の関係性が崩れ出しました。一緒に住んでも苦じゃないくらい仲が良かった5人が顔も見たくなくなるほどに。バンドはメジャーデビュー直前で解散することになりました。
ー価値観の変化はありましたか?
あんなに仲が良かったバンドのメンバー5人の関係が、一気に憎しみに変わったことで、人間不信になりました。また、人に負けるのが嫌で、自分たちの曲にかなり自信がありましたが、こんなにもうまくいかないのか、という敗北感を凄く感じました。
塾講師としての挑戦
2つ目の分岐点は、本格的に塾の講師として働き始めたことです。1年目の勤務先は普通の教室でしたが、2年目に飛ばされた教室は超問題校でした。「全員を倒してやる」という気持ちで、上司の言うことは完全に無視して仕事に取り組みました。その結果、塾の退会者をほぼ0にすることができました。
このときに、ただ塾の生徒数増やすことには意味はなくて、生徒が辞めないようにすることが良い塾であり、生徒との接触回数を増やしていくことが全てだなと気づきました。結果、面倒見がよく成績も上げられる塾になりました。
感情を動かしたみなかみ町との出会い
-いま、群馬県にあるみなかみ町で生活しているじゃないですか?
どういった経緯で移住したのですか?
人生3つ目の分岐点は、会社を辞めた数年後、たまたま見たメルマガに、「デュアルライフ体感してみませんか?」という一文を見つけたことでした。
その説明会は群馬県であり、新幹線代が出るということもあり、興味本位で行きました。実際に現地に行ってみて感じたことは、空気感が合うということ、そして、何よりも感情が刺激されました。
谷川岳という山が一望できる丘では自然の美しさに圧倒されましたし、また、農泊という農家に泊めてもらい生活することが出来ることが、ここしかないという思いを強く抱かせる決め手となりました。
説明会から1年後、群馬県のみなかみ町に移住し、今まさに生活しています。
大根さんのインタビューを終えて
大根さんのインタビューを通じ、そのなかで自分が何を軸にしてやりたいかを考えることが改めて大切だと実感しました。
「人生には正解はない」という言葉があるように、生き方には多くの可能性があるのではないでしょうか。
このインタビューをもとに、「人生の歩き方 ~大根さんができるまで~」というイベントが、明日、6月14日(日)21:00から、キャリアデザインチームで行われます!
今回お話しいただいた「人生の分岐点」について、さらに詳しく語っていただきます。またこの記事では触れていないみの編での活動についても聞けるのでぜひご参加ください!
テキスト/佐々木壱
編集/田宝昂大・林 知里
バナー/野口日菜多
お問い合わせ:minowa.et@gmail.com
箕輪編集室公式Twitter(https://twitter.com/minowa_et)