「圧倒的な量をこなすことで、自分が何にときめくかが分かる」 メディアチーム・森川亮太 #みの編LEADERSの素顔
テレビ局の報道エディターとカメラマンを両立していたメディアチームリーダーの森川亮太さん(以下.モーリーさん)。
どんなきっかけでみの編に入り、いかにしてフリーのカメラマンとしての道を歩むことになったのか。
その裏側と素顔に迫ります。
(取材時:2021年3月)(聞き手:田代章悟)
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--モーリーさんが箕輪編集室(以下.みの編)に入会したのはいつですか?
2018年の5月です。
入会した理由はいくつかありますが、最大の理由は、会社と自宅の往復という同じ毎日の繰り返しを変えたいと思ったからです。
当時は、新卒でテレビ局の報道エディターという職に就いて2年目でしたが、変わらない環境に無気力感を覚えていました。
「何かを変えたい」という思いを持っていた時に、友人や書籍を通じて、箕輪さん・みの編のことを知り、入会を決めましたね。
--「何かを変えたい」という思いが大きかったんですね。入る時に迷いはありませんでしたか?
実は当時のみの編は相当人気で、募集枠がすぐに埋まるという状況でした。
そんな中、ある日箕輪さんのツイートで「メンバーが 1,000人になったら新規募集 を締め切る」というツイートを目にしました。
その時点でメンバーは800人くらいだったので、これは急がねばと思い、そのタイミングで入会することにしました。
僕はちょうど900人目のメンバーでしたね。今思えば、1,000人になってからも新規メンバーを募集していますが(笑)。
--箕輪さんの戦略にやられましたね(笑)。モーリーさんといえば『カメラ』のイメージが強いのですが、みの編に入会する前からカメラはやっていたんでしょうか?
一応カメラは持っていましたが、完全に趣味の領域でした。 誰かを撮ったりはせずに、旅に持っていく程度で。
--意外です! みの編に入った時からカメラマンとして本格的に活動するつもりだったんでしょうか?
最初は全くそのつもりはありませんでした。本当にたまたまです。
でも自分の中で一つ決めていることがあって、「コミュニティに入るからには、ある分野でトップもしくは他のメンバーに何かを提供できる人間になる」ということを意識しています。
それで、僕が入った数日後に新歓の募集があって、その時にふと「ただのいち新規メンバーとして新歓に参加するのはもったいないな」と思いました。ちょうどそのタイミングで、運営側のカメラマンが一人足りないという投稿を目にして「これだ!」と思い、カメラマンとして新歓に参加することにしました。
その決断をしたことで、新歓メンバー50人の中の1、2人しかいないカメラマンという存在として認知されることができました。
これが僕がカメラマンとして活動するようになったきっかけですね。
--カメラマンになったのは偶然だったんですね!
本当にたまたまです(笑)。新歓の司会に空きがあったら司会に手を挙げていたかもしれないし、ライターを募集していたらライターをしていたかもしれません。
偶然カメラマンの枠に空きがあって、偶然僕がカメラを持っていた。それだけです。
--その後はどんどんカメラマンとしての活動を続けていきましたか?
そうですね。 新歓の1ヶ月後くらいに「若手力」というイベントがありました。ゆうこすさんや田端さんを呼んだ 1500 人規模のトークイベントでした。
ここでもタイミング良くカメラマンの募集をしていたので、1参加者としてではなく運営のカメラマンとしてイベントに関わることにしました。
この時に、初めて自分が撮った写真をnote記事やゆうこすさんのツイートに使ってもらうことができましたね。
また、みの編の運営メンバーの方々に自分の存在を知ってもらえたのも、このイベントがきっかけだったと思います。
--このイベントを通じてみの編内でのポジションを確立した感じだったんでしょうか?
そうですね…でも、明確にそう思えたタイミングは、メディアチームのサブリーダーに就任した時でした。 それは、2018年の7月だったので、みの編に入会して2ヶ月後ですね。
「若手力」のイベント後に、当時リーダーだった池田実加さんに、それまでに僕が参加したイベントで感じたこと、カメラマンをして感じたこと、カメラマン、メディアチームの存在価値などを Google ドキュメントにまとめてメッセージを送りました。ただ、それは美加さんから依頼された案件ではありません(笑)。
その後に実加さんから「良かったら一回会わない?」と声を掛けていただき、直接お会いした場でサブリーダーをやってみないかと提案されました。
実は、それまでみの編の各チームには「サブリーダー」という役職はありませんでした。 僕とタカオミ(動画編集者)がきっかけでみの編にサブリーダーが誕生して、 その後、サブリーダーの制度が他のチームにも広がっていったという流れですね。
--そうだったんですね! 入会して2ヶ月でみの編内で明確なポジションを取りましたが、お仕事との両立は大変でしたか?
正直無理はしていました。でも初動が全てだと思っていたので、サブリーダーになるまでの 1、2ヶ月間は相当頑張りました。
自分のタイプ的に、最初頑張れなかったらそのままずっと頑張れないことは分かっていました。だからこそ、“新人”というタグが使える時期に一気にポジションを取りに行こうと考えていました。
--モーリーさんにとってはスタートダッシュが全てだったんですね。その後メディアチームのリーダーに就任するわけですが、リーダーになって感じた難しさはありましたか?
メンバーの定着です。 僕はリーダーになって、アクティブに動く人以外も気軽に参加できるようなイベントをいくつか企画していました。ですが、イベントには参加してくれても、その後写真を撮り続けるような人はなかなか現れませんでした。
そもそも、写真や動画に対するモチベーションが違っていたのかもしれません。
--なるほど。そんな中、現在メディアチームでは「ガチカメ」というプロジェクトを行っていますが、簡単にプロジェクトの内容を教えていただけますか。
プロジェクトが始まったきっかけは、箕輪さんからの一言でした。
箕輪さんの「サウナランドの Webメディアをやるにあたって、まだカメラマンが足りない」という話を受け、現在一緒に「ガチカメ」の講師をやってくれている石井さん(現メディアチーム・サブリーダー)と初心者からガチのカメラマンになるためのカリキュラムを組みました。
3/27(土)に行われる『サウナランドフェス』に向けて、7人の生徒がカメラマンとしてのスキルを磨いています。
あとは単純にリーダーの後継者探しというのもあります(笑)。 リーダーを約2年間続けているので、さすがにそろそろ世代交代をしないとなと。
--そんな経緯があったんですね! 生徒が7人もいることも驚きです。『サウナランドフェス』が終わったら、このプロジェクトも終了しますか?
いえ、これは第2回、第3回とシリーズ化していく予定です。
その際は、現在の生徒が講師となって、自らの学びをアウトプットできる場にしたいと考えています。
みの編に入ったことで、欠点を愛せるようになった
--『ガチカメ』の今後にも期待です。モー リーさんがみの編入会の前と後で一番変わったことは何ですか?
欠点を愛せるようになったことですね。自分のはもちろんですが他人の欠点もです。
箕輪さんも言っていましたが、人は全てがバランスよく整っている人よりも、どこか欠けている部分がある人に魅力を感じて、集まってきます。
僕は自分のことを典型的なバランス型人間だと思って生きてきました。高校は私立の進学校で、大学は国立の教育学部通ってという過程で。苦手をなくして、全てをそつなくこなせる人間になることが正解だとずっと思っていました。
でも、みの編に入って「自分は全然普通じゃないな」ということに気づきました(笑)。 そもそも“普通”という概念自体がなくなりましたね。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」というアインシュタインの言葉がありますが、普通や常識という言葉自体に、その人の経験に基づく主観が入り込んでいます。つまり、これらの言葉を使ってしまった時点で、 ”自分は偏見に満ちていると宣言している”って考えられるようになりました。
「普通は〇〇だろ~」と思う側であり言う側だった僕が、それは間違った考えであるということに気づけたのが、みの編に入ってからの1番の変化ですね。 みんなよりできないから欠点だと思っていたものを、単なる事実として捉えることで、欠点とうまく付き合えるようになりました。
箕輪さんやみの編メンバーと関わっているうちに、自然とこのような考えができるようになったと思います。
タイミングに恵まれている人生
--次はお仕事についてお聞きしていきます。これまでのキャリアを簡単に教えてください。
静岡大学教育学部を卒業後、昔から憧れていたテレビ業界に「報道エディター」という職で就職しました。そこで 3年半勤めて、現在はフリーのカメラマンとCAMPFIREのコミュニティ運営に携わる仕事をしています。報道エディターを辞めたのは去年の8月ですね。
--報道エディターという職とカメラマンとしての仕事を両立していた時期もあったと思うのですが、フリーのカメラマンの道を選んだ理由は何ですか?
理由はいくつかありますが、最大の理由は自分のやっている仕事の意義に疑問を感じる出来事があったからです。
去年の2月頃から、ニュースの内容は新型コロナウイルスに関するもので埋め尽くされました。僕が元々報道に関わりたいと思っていたのは、ニュースを通して視聴者に有益な情報を届けたい、何かプラスのエネルギーをもたらしたいと考えていたからです。
でもコロナのニュースは、首相や都知事の会見をただ流すだけだったり、毎日毎日感染者数を伝えるといったものばかりでした。そんな状況に僕自身疲れ切ってしまい、初めて仕事に対するやりがいを疑いました。 さらに、去年の3月頃から「今やっているテレビ報道に本当に価値はあるのだろうか?」 という思いが日に日に強くなっていきました。
また、ちょうどその頃に新たな出会いがあったんです。
現在アシスタントに付いている、写真家の青山裕企さんとの出会いです。 彼が Twitterでアシスタントの募集をしていて、ダメ元でメッセージを送ったら、 直接お会いできることになり、面接をして、実際に現場にご一緒させていただく機会がありました。
これが3月にあり、4月から正式に青山さんのアシスタントとして働くことになりました。
この時に、初めて本格的にカメラマンとして生計を立てていくことを本気で考え始めました。
実は、東京オリンピックが終わったら、東京から離れて地方で現場の記者として働くという話を会社からもらっていました。
この話をいただいた時はすごく前向きに捉えていましたが、今話したような 「報道の意義を問い直す」「カメラマンとして本格的に活動するチャンスがある」という状況になった時に、東京から出たくないなと強く思いました。
最終的には、オリンピックが延期されるということが決め手となり、会社を辞めることを決断しました。
--そんな背景があったんですね。たまたま仕事への意義を問い直した時期と、カメラマンとしてのチャンスの時期のタイミングが被ったと。
僕タイミングを引き当てる力はそれなりにあるんですよ(笑)。
--きっと、普段からしっかり準備をしているからこそ、モーリーさんは偶然の一致をチャンスに変えられているのではないかなと感じました。
タイミングにアンテナを張ってるというのはあるかもしれませんね。
いざという時にすぐに反応できる準備はしているつもりです。
--現在の収入は全てカメラマンとしてのお仕事からですか?
いえ、違います。 収入はもう一つの CAMPFIRE でのコミュニティ事業部アシスタントが多いです。 僕的にはこれがとても助かっています。
フリーランスで何が一番大変かというと、安定した収入を得られないことです。 お金に余裕がないと心に余裕がなくなってしまいます。先立つものはお金であり、いくらやりたいことを仕事にしても、お金がなければ生きていけません。
そう考えると、フリーランスのカメラマンというかなり不安定な職にも関わらず、毎月生活に困らないだけの安定した収入があることは、僕にとってすごくありがたいことです。
そのおかげで、不本意な撮影の仕事も受ける必要もなく過ごせています。
--不本意な撮影の仕事...安く買い叩かれるとかですか?
それももちろんだし、自分のブランディングと違う仕事の案件も受けなくて済みます。
これらの仕事をやらずに、フリーのカメラマンとして実績を積めていることはとても大きいですね。
勝手にやることでチャンスを掴む
--なるほど! そういえば去年の秋頃に、アイドルの横山由依さんのメイキング動画を撮影されていましたよね? それを見た時すごく驚きましたが、どんな経緯だったのでしょうか?
それもきっかけはオンラインサロンです(笑)。
みの編とは別に、僕が運営のお手伝いをしている映像系のサロンがあるのですが、そのサロンオーナーの現場に一緒に付いて行く機会がありました。それが、横山由依さんの撮影現場でした。
僕はカメラマンとしてではなく、運営のサポートとして現場に行きましたが、一応カメラは持って来るように言われていました。そうしたら、急遽、横山由依さんのメイキング動画を撮影することになり、偶然カメラを持っていた僕が1日密着して撮影を行いました。
実は、最初の僕の役割は撮影した横山さんの素材を監督に渡すだけでした。 その素材をもとに横山さん側のスタッフが動画を作成するという。
ただ、いくら連絡しても相手方から返信が来なかったので「よし、俺が作っちゃおう!」と思って、勝手にメイキング動画を制作しました(笑)。
それを横山さんと監督に見てもらったところ、2人に気に入ってもらえて、横山さんの公式Youtubeにメイキング動画として投稿してもらえることになりました。
--勝手に制作したんですね(笑)。
そうなんです。でも、そこで信頼を得たことで、2ヶ月後に今度は正式な依頼として、 横山さんのMVのメイキングとインタビュー動画の制作を任されました。 監督と横山さんから直々に「森川くんに撮ってほしい」と言われたことは本当に嬉しかったですね。
--そんなドラマがあったとは...。モーリーさんの「仕事ゴコロに火が灯る」瞬間はいつですか?
「森川が必要」や「君がいい」と言われた時ですね。
ただカメラマンが欲しいというだけでなく、君に撮ってもらいたいと言ってもらった時には、仕事ゴコロに火が灯ります。
具体的に言うと、AbemaPrime で箕輪さんの密着特集の編集をさせてもらった時や、 先程の横山さんのメイキング動画制作もこれに当てはまります。
やっぱり自分が誰かから必要とされた時は、普段の何倍も頑張れると思います。
自分ゴト化の3段階
--確かにこのセリフを言われたら頑張らざるを得ないですね。ありがとうございます! では最後に、「人生の自分ゴト化」のために必要なことは何だと思いますか?
正直言うと、まだ僕自身が真の自分ゴト化ができていないと思っています。
僕は自分のことを周りに流されやすいタイプの人間だと自覚しています。 みの編に入った時はビジネス界隈の考えの影響を強く受けたし、今は写真家の人たちの価値観に影響を強く受けています。
だから自分の中に明確な1本の軸があるかと言われると、それはまだ模索中ですね。
でも、『自分の言葉や行動に嘘がないように生きること』は、自分ゴト化に必要なことだと最近めちゃくちゃ考えています。
例えば、 本当は肉が食べたいのに健康を考えて魚を食べるとか、 本当は小説を読んでいたいのにビジネス書を読むとか。 行動する理由が外的要因になると自分ゴト化は難しいと思います。
似たような例で“死ぬカス病”もありますね。
『死ぬこと以外かすり傷』(マガジンハウス)に書いてある箕輪さんの価値観は確かに素敵です。それによって、1歩前に踏み出すことができる人もたくさんいると思います。
でも、「自分にとってその価値観が合っているのか?」ということは考えなければいけません。
全員が同じ価値観である必要はないですよね。 自分以外の価値観や考えを尊重はしつつ、「じゃあ自分はどう考えるか?」という視点を持つことが、自分ゴト化の本質かなと考えています。
--インプットした情報を思考停止したまま受け入れるのではなく、自分の価値観というフィルターを通して考えることが必要なんですね。
これに関しては、「その人が今どの段階にいるのか?」という視点が必要ですね。
自分のフィルターなんか考えずに、頭を空っぽにして何かに打ち込む時期は絶対に必要です。
僕にとってはそれはみの編初期の頃で、とにかくカメラを持ってたくさん写真を撮りまくっていました。 その経験をしたからこそ、自分なりの考えやスタイルが出来上がっていました。
圧倒的な量をこなすことで、「自分は何にときめくのか?」ということが分かるようになります。
--自分ゴト化にもフェーズがあるんですね。第1段階として「とにかくやってみる」期があり、第2段階として「自分のフィルターと照らし合わせる」期があるイメージですか?
そうですね。 僕にとっては、第1段階を経験することで世界が広がりました。 就活でも、「最初から業界を絞るのは良くない」と言いますよね。これも本質は同じだと思っています。
自分ゴト化したいと思ったら、まずは自分が動ける範囲で可動域を広げてみる。
僕の場合は、社会人2年目の時にオンラインサロンに入ったことにより、会社と家の往復だった生活が変わりました。
自分ゴト化の最初の段階として、『経験』が不可欠だと思っています。
第1段階でたくさんの新しいチャレンジをすることにより、経験という名の種を蒔く。そして、第2段階に入ったら、自分が蒔いた種の中で、どの種が上手く育ちそうかを見極める。そして、第3段階は自分が選んだ苗を丁寧に育てる。
この3つのステップを経験することで、真の自分ゴト化は進んでいくはずです。
僕は今、第2段階と第3段階の中間にいると思っています。
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ここに載せきれなかった話もたくさんあります。それだけモーリーさんのお話は、今の僕にとって刺さるものばかりでした。
特に自分ゴト化について、これまでバラバラだったものが、3つのフェーズがある という話で一気に明確になりました。
「自分はタイミングに恵まれている」
そう話していたモーリーさんですが、普段から様々な努力をしているからこそ、 チャンスを生かし続けているのだろうなと、強く感じました。
今のモーリーさんの目標は、アイドルの写真集を撮ることだそうです。 まだまだそのゴールは見えないそうですが、きっとその「タイミング」は訪れるだろうなと僕は確信しています。
ちなみに、モーリーさんがおすすめしてくださった『ソウルフル・ワールド』というディズニー映画も最高でした。
「夢を見つけなきゃ」「優れた人間にならなければ」 そんな考えを持っている人にはぜひ観てみてほしいです。
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