見出し画像

「ずっと人の目ばかりを気にして生きてきた」 箕輪編集室に入って磨かれた”脱優等生”という価値観

「人を通してあなたが見える、と言われた時が一番嬉しい」
ファインダー越しに「人」の優しさを、鮮やかに切り取っていく。
カメラ紳士――彼の被写体に向き合う姿勢は、彼の呼び名に集約されている。

入会後すぐにメディアチームで手をあげたことをきっかけに活動を続け、2019年1月、リーダーに任命される。

にこやかで人当たりのいい好青年。
取材前は、そんなイメージを彼に持っていた。しかし、もともとそういう人間だったわけではないという。「人」によって、「コミュニティ」によって価値観が大きく変わったと語る森川亮太さんに、箕輪編集室で過ごしたこれまでを聞いた。

箕輪編集室が『カメラ紳士』を育ててくれた

ー森川さんはいつ箕輪編集室に入られたんですか?
2018年の5月です。箕輪編集室が1000人規模になるかならないかのフェーズで、当時は「1000人になったら新規メンバーを締め切る」と箕輪さんが言っていました。気にはなっていたけど、毎月6000円かかるわけだし、入るかすごく迷っていました。散々逡巡した挙げ句に、締め切りまであと10人というタイミングで、やっぱり入ろう!って実家のベッドの上で思い切って入会しました(笑)。

ー箕輪編集室で写真を撮り始めたのはどのような経緯だったのですか?
初めて参加した新歓のイベントで、カメラマンをかって出たんです。当時はカメラが得意というわけでは全くなかったんですけど、たまたま募集しているのを見て、眠っていたカメラを引っ張り出して。僕自身も新入会者のネームプレートを首からかけて参加しました。そこからカメラマンとして動くようになったんです。

ーもともとメディアチーム目的で箕輪編集室に入ったわけではなかったんですか?
そうですね、編集室っていう名前だし、何か文章のことを学べるのかなぁくらいにしか思っていなくて。箕輪さんの名前を知っているくらいで、特に何もやりたいこともなかったんですよ。

ー意外です。箕輪編集室内では森川さんをカメラマンと認識している方も多いと思いますが、いつから写真をメインでやっていこうと思ったんですか?
「僕らしい写真」が、みんなに認識してもらえるようになった時でしょうか。イベント以外でももっと写真を撮りたいなと思いました。メンバーの写真を撮影したり、自分の作品をtwitterにあげていたんですよね。そうしたらコメントをもらえたり、箕輪編集室以外の方からも「写真を撮ってください」とメッセージをいただく機会が増えて、どんどんのめり込んでいった気がします。「カメラ紳士」という愛称が認識されていくのも楽しかったですね。

すべては人と繋がるためのツール

ー森川さんの撮影する写真はどれも独特の面持ちがあります。
箕輪編集室でHaruさんという著名なフォトグラファーの方と知り合ったのがひとつのきっかけです。彼が僕に写真の撮り方や向き合い方について教えてくれたんです。「自分が撮りたい色やモノをどれだけ言語化できるか、一枚の写真に収まっているもの全てを説明できるか」が、カメラマンには必要だと。その話を聞いて、箕輪編集室に入って以降、撮影してきた数千枚の写真を全部見返しました。自分がどういうところに惹かれてシャッターを押しているのかを徹底的に考えてみることにしたんです。

ー自分で撮った写真を見返して、そこから何がわかったのですか?
自分は「人」が関わる写真が好きだってことです。関わってくれた人が少しでも笑ってくれたり、気が抜けた表情をしたり、僕はそういう瞬間を切り取った写真が好きなんですよ。カメラを通して、その人のありのままの魅力が伝わればいいと思っています。

ー「人」が一つのキーワードとなるということですか。
僕の人生を振り返ってみると、すべて「人」との関係が基軸になっているんですね。
就職活動なんかもそうで、学生時代、僕はアナウンサーを目指していたんです。人に見られることが好きで、社会に影響を与えていることがわかりやすく認知できるアナウンサーになりたかった。でも、就職活動を続けていくうちに、自分が本当にやりたいことは多くの人に見られることじゃなくて、自分の見聞を広げて、それを世間に広めたいというコミュニケーションの部分だと気がついたんです。それならば、地方局のアナウンサーになるよりも、情報が多く集まる東京のキー局で番組を作る方がいい。自分のやりたいことを抽象化して解像度を上げた結果、本当に自分のやりたいことに気づいたんです。
他者に依存する性格なんだと思います、多分(笑)。例えば読書をする時も、とにかく人と話すネタになりそうなものを読んでいるんです。僕にとっての本は、人と人を繋ぐ道具なんですよね。誰かが勧めてくれたか、どのタイミングで、どんなキッカケでこの本を読むことになったか、そういったことをキーにして本を記憶しています。本だけでなくて、僕にとって全てが人と繋がるためのツールなんですよね。僕は人に生かされてきたんです。小さい頃は人の目を気にして生きてきたし、リーダーになった今でもできないことが多いので人を頼ることが多い。根っこの部分は人に寄りかかりたいし、人に寄っかかってもらいたいんですよね。

ありのままでいい。「脱優等生」をスローガンに

ー森川さんと話していると、誰とでも自然にコミュニケーションを取れるんだろうなという印象を受けますが、元々そういう性格だったんですか?
いえ、全くです。人の目を伺って生きてきたんですよ。他人に認められなかったら自分がそこにいちゃいけないと思ってたんですよね。僕は日本社会で「良い」とされているレールを綺麗に進んできたタイプなんだと思います。周囲の期待に答えるべく、所謂 “日本の優等生”というレールの上を踏み外さないようにしようとしてきたし、そうじゃないとダメだと思っていたんです。レールから外れたら誰にも相手にされなくなる、他人と比較して少しでも尖ったら弾かれる……ずっとそう思って生きてきました。

ーずいぶん他者からの評価を気にされていたんですね…。
めちゃくちゃ気にしてましたよ。担任の先生には好かれたいし友達全員にいい格好をしていたかった。八方美人で、周りの目を気にして生きてきたんだなと、今振り返ってもそう思います。でも、教育学部に進んで教育実習に行った時に、初めて教育を受ける側から伝える側に回りました。そこで子供たちと関わって、「みんな、めっちゃ可愛いじゃん!」って純粋に思ったんです(笑)。自分に素直であったり、自分に自信を持っていたり、自分の好きなものに正直だったり。もう全てが愛おしく感じたんですよね。

ー子供たちの無邪気な姿に触発されたんですね。
先生ってこんな気持ちだったのかな、って思って。先生の言うことを何でも聞くから、通知表がオール5だから可愛いとかではなく、その子がその子であることが一番なんだなろうなって感じました。そういう経験があって、僕は「脱優等生」をスローガンにするようになったんです。

ー脱優等生してから、具体的に変わったことは何ですか?
出来なくてもいいやと思えるようになったことですね。それは箕輪編集室での活動にも通じています。尖ったデザインを作る人が良い記事を書けるわけではないし、良い記事を書ける人がエモい写真を撮れるわけでもない。それぞれに得意不得意があって組織が形成されていて、それが魅力になるんだなっていうことを改めて実感しました。それまでの僕は、いびつな形を何とか綺麗に整えようと、オール60点を目指していたんですよね。その方が使い勝手が良くて歯車に合うと思っていた。でも、たとえいびつでも、一点しか刺せなくても、必要とされる人は必ずいる。そんな生き方もある。それはオーナーの箕輪さんを見ていて、一番感じることでもあります。

(次回 (4/16公開予定):「クリエイティブと居場所が共存するチームを創りたい」僕はコミュニティを翻訳する役割を目指す に続きます)

***
編集 お嬢
写真 駒月麻顕
バナーデザイン 惣島厚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?