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這いつくばってでも点を落とす−箕輪地方巡礼、始動。

2月からいよいよ箕輪ツアー(地方巡礼)が本格始動。

地方に点を落として、マフィアを増やす。それがいつしか線になり、圧倒的な結果を生む。

その皮切りとも言える講演会は1月19日に静岡県立大学で行われた『時代の読み方』(主催:COCOA)。

大学生が多く集まる講演会で、箕輪さんはどんな「点」を落としたのでしょうか?

勝機を見出したはずが、失敗

早稲田大学卒業、双葉社入社。箕輪さんのプロフィール欄を覗くと、こう書いてあります。箕輪さんのスタート地点はやはり出版社なんだ、初めから編集者志望だったのか…と思うと実はそうではありません。

この「早稲田大学卒業」と「双葉社入社」の間には今の箕輪さんをつくりあげている数々の「点」がが隠されていたのです。

箕輪さんは学生時代を振り返って、こう話します。
「本当に意識が低かった。授業もほとんど出てないし、卒論提出日に初めて教授の顔を見たくらい。そのレベルでした。

僕があまりにも卒論を出さないから教授のほうが心配になってあらゆる手段で連絡を取ろうとしてくるんだけど、知らない番号とか出なかったから、最後はmixiで『君のゼミの教授なんだけど、卒論大丈夫なのか?』ってメッセージがきた」

そんな箕輪さんも、大学3年生になると周囲と同じく就職活動を開始しました。志望先として挙げたのは、テレビ局・出版社。そして、沖縄の会社。

「今でも大部分の大学生って大企業とかを選ぶと思うんですけど、俺は銀行とかに行ったら絶対に“できねぇ奴”になるって目に見えてた。

そんなの絶対に嫌だから、行くのはテレビか出版か沖縄の会社にしようと思っていた」と当時を振り返ります。

「ふざけた性格だからテレビのプロデューサーでふざけたバラエティ番組作るとか、出版社で本や週刊誌作るとかクリエイティブっぽいサラリーマンならアリだなって思った。でも一方で、テレビ局とか出版社って狭き門じゃないですか。

本当になりたい人ってテレビ局だったら制作会社に入ってADからみたいな。出版社に入れない人は編集プロダクションに入って、叩き上げでっていう。でも制作会社とかテレビ局の年下の奴に使われるわけですよ。編集プロダクションも、出版社の新卒の奴に使われる。正直、本当に自惚れ体質なので自分が才能があるって思っていたから、それは耐えられないなと思って」

なぜ沖縄か? ということについてはこんなエピソードが。

「僕本当に南国が好きで。なんか大学って緑がいっぱいあるじゃないですか。だからそこにハイビスカスの苗を植えて、ハンモックを垂らして、早稲田を南国みたいにしようって計画してやってた。

大学南国化計画とか言って、他の大学にも埋めたんだけど、蚊が多すぎて途中で面倒くさくなってやめた。結局育ったかすら見に行ってない(笑)」

しかし、テレビ局と出版社は全て不採用。唯一内定が出た沖縄の『瀬底ビーチリゾート』でパラソルを差したりマングローブを案内したりする仕事に就くことになりました。

大好きな沖縄の会社に就職が決まったものの、「なんかすげえ遠回りしてわざわざ沖縄のホテルに行ったなみたいな感じがありつつ、ちょっとモヤモヤとしてた」という箕輪さん。

そんなときに「瀬底ビーチリゾート倒産」というニュースが舞い込みました。当時リーマンショックが起こり、建設途中の高級ホテルの資金繰りが悪化。結果、倒産となり箕輪さんは内定取り消しに。

心のどこかで沖縄に行くことが腹落ちしていなかったこともあり、就活浪人になることを決めたといいます。

裸になる覚悟を決めた

就活1年目は面接で嘘ばっかりついてたことに気づいたんですよ。サークルであの瞬間リーダーっぽかったなっていう場面を都合のいいように拡大解釈して、リーダーでしたって言ったり。

アジアを旅していたときにカンボジアの子どもと喋ったことを、『子どもに興味があって触れ合って』みたいな。あらゆることを大げさに、すげえ綺麗事を喋っていたわけですよ」

この失敗経験から、2回目の就活では丸裸で臨むことに。「本当に大学時代は遊んでただけっす、みたいな感じでいったら軒並み最終面接とかまでいけた。集英社とかフジテレビも最終までいった」と手応えも感じたそう。

しかし、こんなおまけのエピソードも。
「でもね、集英社では最終面接で怒られて。みんなスーツの中、俺私服でバカみたいな感じだったから。でもさ、俺的にはふざけていたわけじゃなくて、そんな感じで勝ち残っていったからもう変えるのが怖かったの。このむき出しキャラを。

だから変えないのが正しいんだなって。そういうのが求められてんだなって思ってたら、『君、何で私服で来てるの?』とか言われて、いわゆる圧迫面接みたいになった。でも逆にあんなに説教するって、落とすやつにこんなこと言うわけないなって思ってたら、普通に落ちた(笑)。ただ怒られただけっていう」

そんな丸裸で勝負する箕輪さんを採ったのが双葉社でした。
「出版業界で一番ふざけているような、週刊大衆とか出してるふわふわな会社に『あ、コイツはなんか面白いな』って思ってもらえて、採用してもらった。そこからワーッと走ってきたっていう感じなんですよね」

*『箕輪 ピカピカの若手時代のインタビュー』では、双葉社に入社後のエピソードが綴られています

自分の好奇心に貪欲か

就職活動だけではなく、人はあらゆる場面で岐路に立たされます。選ぶ基準に正解はありませんが、箕輪さんは「正しいことより楽しいことを」という座右の銘に従っていたといいます。

自分の気持ちに嘘をついたことがないので、進路についてそんなに悩まなかった。先生がこう言ってるからとか、こうした方がいいからっていうことで行動したことなかったから」

さらに、自分が何に向いてるか、何が好きかを明確にすることも大事にしていたそう。

「ラジオでハガキ職人ってあるじゃないですか。ああいうのだいたい送ったら読まれてたから、やっぱりこういうの俺得意だなって思ってて。だから放送作家になりたいとも思ってました。

でも、才能あってもまずゼロからADで、周りにお前水買ってこいとか言われてお金渡されても、お金なくしちゃうみたいな感じなんで、多分そこで脱落するだろうなって思ってた。

自分のそういう言葉のセンスだとかクリエイティブなものは自信があるというか好きだから頑張れるので、そっちの方向しかありえないなって。逆に銀行とかだと、ザ・使えない社員になっちゃうので。絶対お金なくすし(笑)。」


(次回に続きます)

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テキスト・編集 / 石川遼篠原舞

写真 池田実加


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