何かを始めるのに遅すぎることはない #会社を使い倒せ!
2019年2月8日、博報堂monom代表である小野直紀さんの著書である『会社を使い倒せ!』の刊行記念イベントとして、「箕輪厚介×小野直紀トークライブ これからの会社のかかわり方-「使われる」から「使う」会社へ-」が開催されました。
これからの時代、会社と社員の関係も変わります。
会社で働く社員たちは、どのように会社を利用し、自己実現を果たせばよいのでしょうか。
連載の最終回は、会場で行われた質疑応答の様子をお届けします。
第一回目の記事はこちら
第二回目の記事はこちら
登壇者プロフィール
小野直紀さんプロフィール
博報堂monom代表/クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナー1981年生まれ。2008年博報堂入社。広告、空間、インタラクティブと幅広いクリエイティブ領域を経験し、2015年に博報堂社内でプロダクト・イノベーション・チーム「monom」(モノム)を設立。設立から1年でスマホ連動のボタン型スピーカー「Pechat」(ペチャット)を開発し、博報堂初のデジタルデバイス販売事業を立ち上げて話題に。また、手がけたプロダクトが3年連続でグッドデザイン・ベスト100を受賞した。
社外ではデザインスタジオ「YOY」(ヨイ)を主宰。その作品はMoMAをはじめ世界中で販売され、国際的なアワードを多数受賞している。
2015年より武蔵野美術大学非常勤講師、2018年にはカンヌライオンズのプロダクトデザイン部門審査員を務める。2019年に博報堂が出版する雑誌『広告』の編集長に就任。
引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000049.000002610.html
上阪徹さんプロフィール
1966年、兵庫県生まれ。85年、兵庫県立豊岡高校卒。89年、早稲田大学商学部卒。アパレルメーカーのワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスに。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに、雑誌や書籍などで幅広く執筆やインタビューを手がける。
主な媒体に、『GOETHE』(幻冬舎)、『AERA』(朝日新聞出版)、『週刊現代』(講談社)、『就職ジャーナル』(リクルート)、『Tech総研』(リクルート)など。
他の著者の本を取材して書き上げるブックライター作品も60冊以上に。
累計40万部のベストセラーになった『プロ論。』など、インタビュー集も多数。
引用:http://uesakatoru.com/profile/
ヒットは自分自身の熱量から始まる
上阪:まず僕から質問を1つ。箕輪さんはなぜヒットをずっと連発できるのですか?
箕輪:実はヒットしてない書籍もありますよ。そもそも死ぬほど量を出してますからほとんど気付かれていないだけです。
上阪:でも月一のNewsPicks Bookだけだよね。
箕輪:そうですね。もっと出そうと思えば出せるんですけど疲れちゃったので、今は他の編集者に任せることが多くなりました。逆に僕がフルコミットすれば絶対に売れますから、面白い人から話が来るんですよね。
あとは戦略論でいうと、「箕輪が編集するなら買う」「NewsPicks Bookだったら買う」というコミュニティが出来たからですね。他の本はそういうのがなくてゼロからスタートになるので、書店に並べてから初めて反応を見る。それに対して、NewsPicks Bookは毎月出すことによって雑誌のようにファンが付いてくるから売れ行きが下振れしにくくなりましたよね。
上阪:ここまでのブランドに育つ前はどうだったんですか。
箕輪:立て続けにヒットが出たからすぐにブランドになりました。
上阪:そのヒットのつかみは何だったんですかね。
箕輪:ホリエモンや前田裕二さん、尾原和啓さんなど事前に球(書籍)を用意していたんです。NewsPicks Bookが始まってから持っていた球を一気に出して、それが全部売れた。そこから波に乗れた感じです。
上阪:なるほどね。
箕輪:また、メタップスの佐藤航陽さんや学者の落合陽一など、新しい出会いが続いたことも大きかったですね。
上阪:小野さんの場合はどうですか? YOYやmonomでヒットを連発しているんですけど、そのヒットはどうして生まれたのでしょうか。
小野:僕は「いいもの」を作ろうという気持ちが絶えずあるんですよ。じゃあ「いいもの」ってどういうものなんだろうと考えた場合、自分がすごい熱狂して作ったものを、同じぐらいの熱量で受け止めてもらえている状況だと考えているんですよね。そういう自分の想いと世の中の想いの接合点を常に探しているから、ヒットが出せているのだと思ってます。
副業はお金目当てよりも自己実現の1つ
質問者:お話のなかで箕輪さんも小野さんも副業するときに、自社と競合しないようにしていると見受けられました。具体的に副業をする判断基準はありますか?
箕輪:お金のためにやってないですね。それに、歌手デビューなんて死ぬほど時間取られるのに1円も儲からないし、本当に心すり減らしながらやってる。要は、競合にならないように気にしているっていうよりも、幻冬舎でやる方がいいものは幻冬舎でやってるというだけですね。
小野:僕はそもそも社外でプロダクトデザインをやった時は競合ではなかったし、最初はそんなに儲かっていなかったため、誰も知らなかったんですよ。
でもテレビに取り上げてもらってから周りに知られるようになったので、会社と揉める前に話をしておこうと人事や広報、役員のところに行きました。クリエイティブ系の役員が「一定金額を超えたら教えてね、それまではOK」と言ったので副業として進めていました。
一定金額を超えてからは、売上はデザインの開発費に使われていますが、僕もお金を儲けるためではなくデザインの実験としてやっています。だから、会社と同じことをやるのであれば、社内でやらないと意味がないし、社内でやらないんだったら、さっさと辞めたほうがいいと思っています。
その時点でできることをやり切る
質問者:僕は現在、小野さんと似たような業界で働きながら、仲間と一緒に会社を立ち上げようとしているものの、これからどんなことをしようか迷っています。もし皆さんが26歳で独身だったら、何にチャレンジしますか?
箕輪:僕は年齢で区切ることは本当に考えたことないから、その瞬間やりたいことやるんじゃないかな。
質問者: 今と変わらないってことですね。
箕輪:何も変わらない。双葉社時代で言うと、 広告部の人がルーティンの仕事ばかりしていたけど、僕はそれだとつまらないから、雑居ビルに行って5万円の新規クライアントを取っていました。「原稿はこちらで作るので出稿してください」って提案することが僕にとってめちゃめちゃ楽しかった。
要は、誰もやったことがなくて、自分がこれやったらみんな面白いと思うかなってことをやってるだけですね。
小野:僕は博報堂に入社した時が27歳だったから、周りよりも遅かったんですよね。高校に4年通い、大学も途中で辞めて再度入り直したから卒業までに7年かかっていたので、当時は結構焦っていました。
そんな心情を抱えながら、大学の学祭LIVEに行ったとき「BOREDOMS」というバンドの山本精一さんが1人でライブをしてて 、ある学生が「僕今22歳なんですけど、精一さんはその頃は何をしていましたか?」って質問したんです。
その質問に対して精一さんは、「いやぁ覚えてへんなぁ。俺、物心ついたら30やったからなぁ」って答えたんです。
この言葉にめちゃくちゃ勇気づけられたので今でも覚えています。
30歳までは損得で判断はせずに、目の前の仕事をがむしゃらにやった方がいいと思いますよ。
***
テキスト:Nobuhiro Arai、中村綺花、河地真里、宮本大輔、氷上太郎、石川勝紘、後藤俊光、本村茉莉子、関口秀夫
編集:新井大貴、柳田一記
写真:岩崎隼斗