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「最速でなきゃ、僕には何の価値もない」  爆速の男、ニトロが最速デザイナーを目指した理由

箕輪編集室(以下みの編)では、サロンオーナーである箕輪厚介さんから、かなり無茶なスケジュールで依頼が来ることがある。そんな時に、圧倒的なスピードでプロジェクトを遂行し、一際輝くデザインを完成させる。誰もが認める、みの編最速のデザイナー・ニトロ。みの編に所属する人間なら、一度はこの名を耳にしたことがあるのではないだろうか。

みの編に入る前は、いわゆる意識高い系の普通の大学生だったという。正直、デザイナーとしてバリバリ活躍する現在の姿からは想像がつきにくい。
今回、デザインチームリーダー(取材時点)のニトロさんに、みの編に入る前のお話やデザイナーとして活動するようになったきっかけについて伺った。(※取材時2020年夏頃)

常に何かにうずうずしていた。

- ニトロさんは現在大学生ですが、どうしてみの編に入ろうと思ったのですか?入会した当時は学割もなく、学生はほとんどいませんでしたよね。

みの編に入れば人生が変わるかもって思ったんです。それまでは、何がしたいのかわからない大学生だったので。活力は人並み以上にあったけれど、常に何か物足りない感じがしてずうずしていました。自分の中の何かを変えたかった。そんな時にバイト先の先輩の勧めで、ホリエモンさんの『多動力』を読んだんです。そこで箕輪厚介さんとみの編の存在を初めて知りました。
他にも当時活躍していた多くのインフルエンサーの本を読みましたが、そのほとんどを箕輪さんが編集していました。「この本を編集してるのも箕輪さんなんだ」といった感じでどんどん箕輪さんに興味を持つようになりました。そんな時、偶然大学で仲良くしていた友達がみの編に入会していることを知ったんです。そのことがきっかけで、入会することを決めました。

- みの編に入る前は、どんなことしていたんですか?

大学を休学してとにかくいろんな人に会ってみたり、スタートアップの企業に入ってみたり、ブログやってみたり、はたまたヒッチハイクをしてみたりと本当に色々なことに手をつけていました。インフルエンサーの本やツイッターを読んで影響受けて、自分を奮い立たせて、しばらくしたらモチベーション下がって、「結局なんだったんだ」ってことをずっと繰り返していました。

- ブログ読ませていただきましたが、みの編入る前からかなり強烈ですよね。想像以上の行動力に驚きました(笑)。なかにはGoogle本社に突撃したっていうエピソードもあったのですが、、、。

当時はなんでも思い立ったらすぐに行動してました。自分にオリジナリティがないことがすごいコンプレックスで、とにかく人と違うことがしたかった。そうした感情を払拭するために闇雲に行動していたんだと思います。

でも、結局ほとんどのことはあまりうまくいきませんでした。自分が何をしたいのかわからなかったので当然といえば当然です。完全に根無し草で、何か新しいことを始めてはすぐに辞めてを繰り返していました。もともとうまくいかなくなると、現状から無性に逃げたくなる性格なんです。定期的に色々思い込んで勘違いしたりして、全部嫌になって、すぐに逃げ出す生活を送っていました。

- でも、みの編での活動は結構長く続いていますよね。

そうなんです。自分でも驚いています。正直デザインを始めた時も、こんな続くと思っていなかったんですよ。なにがあっても自分を受け入れてくれる人、逃げ出した自分に手を差し伸べてくれる人、そして厳しく自分を指導してくれる人に出会えたことが大きい気がします。

ボロクソに言われて、テンション上がっちゃって

- みの編で人生を変えてくれるような出会いがあったということですか?

そうなんです。みの編に入った当初は、中部チームでひたすら懇親会ばかりに参加していました。活力だけは人一倍あったから、とにかく中部チームのイベントに片っ端から参加してご飯を食べていました。そのあたりの時期に、東京で開催されたみの編のイベントに行ったとき、みの編の初代ライターチームリーダーだった篠原舞さんに出会ったんです。

当時、僕は「ツイッターのバナーをデザインして勝手に100人に送りつける」という活動をしていて、

みの編内でも若干知られるくらいになってたのですが、そこで篠原さんの洗礼を受けることになります(笑)。

「あなたは何ができる人なの?」
「あなたは結局何がしたいの?」
「今使っている時間が投資なのか浪費なのか消費なのかきちんと考えたほうがいいよ」

お酒も入った勢いで、それまでの僕のみの編での活動について強烈なフィードバックを受けました。本当にボロクソに言われたんですが、それでもう僕はメチャメチャテンションが上がっちゃって、飲み会中ひたすらメモをとっていました。「うお、こんなこと言ってくれる人いるんだ」「確かに」「すげえ!」と素直に感動していました。「この人についていけば間違いない!」と思って、以来ひたすら篠原さんの後を追っていました。

- それは強烈ですね。でもボロクソに言われてテンション上がるニトロさんに、只者ではない感じがします(笑)。

「最高」か「最速」以外には価値がない

ー最初クリエイティブとは無縁だったニトロさんが、デザインをすることになったきっかけは何だったんですか?

友達とシェアハウスに住んでいた時期があったのですが、学生同士なのでどうしてもお金がありません。家具を揃えるのも厳しくなりました。そこで「みの編の大人たちに譲ってもらえないかな?」という話になったんです。もちろんタダでもらうわけにはいかないので、家具を譲ってくれた人をその家具の大臣にしよう!という話になりました。今考えればまったく意味がわからないんですけどね(笑)。
例えば冷蔵庫を譲ってくれた人を「冷蔵庫大臣」としてその人のポスターをつくって、家に貼るようなことをしていました。

友達がポスターのデザインをしてくれる雰囲気はありませんでしたので、僕がすることになったんです。だから、本当に偶然で、デザインに興味があったわけではなく、他にする人がいなかったから、半ばしかたなくデザインをするようになったんです。

- みの編のデザイナーとして飛躍したきっかけはありますか?

「みの編でデザインしてる!」という自覚を持って活動しだしたのは、セブ島留学をした時からです。当時のみの編では、QQEnglishさんのご厚意でメンバーなら無料でセブ島留学することができました。僕はその第1期生として約3ヶ月留学させていただいたのですが、WebデザインやLPページのデザインなどを手掛けました。

他にも「メモの魔力」(前田裕二著)と絶対内定(熊谷智宏著)のコラボ企画でイベントのバナーデザインを手がけさせてもらった経験がかなり大きかったです。デザインすることが楽しくなって、「もっとうまくなりたい」「もっと続けていきたい」と思えるようになりました。

- ニトロさんはよく「爆速の男」「みの編最速のデザイナー」なんて呼ばれ方をしていますが、なぜ速度にこだわるのでしょうか?

だって、そこにしか僕の価値はないじゃないですか。僕はデザイナーとしては本当にまだまだなんです。師匠である前デザインチームリーダーの平岡和之さんから今でも「手癖に走ったね」「楽な方に逃げたね」とよく叱られます。そんな僕でも価値を出す方法がたったひとつだけあります。それは誰よりも速く成果物を上げることです。

以前、箕輪さんが講演で言っていたことがとても印象に残っています。

「今の時代は最高か最速しか意味がない。どんなにクオリティが低くても最速なら意味がある。遅いなら最高でなければ意味がない」

今の僕の力量では「最高」のものはつくれません。だから僕が価値ある存在にあるためには「最速」である以外はあり得なかったんですよ。

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常に何かをしたくてうずうずしながらも、何をすれば良いかわからず闇雲に過ごしたみの編に入る前のニトロさんが、みの編に入り師事すべき大人に出会い大きく飛躍したというエピソード。同じように、熱量はあるのにどこにぶつけたらいいかわからない学生も多いのではないだろうか。
後編では、デザインチームリーダーとしてのお話や、学生へのメッセージについて伺った。

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聞き手/柳田一記舩津里奈子
編集/舩津里奈子
写真/はちぼー
バナーデザイン/中村裕介

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