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東大から刑務所へ はじめに無料公開!

こんにちは。時間総額420億円の箕輪です(タイムバンク9/21時点)。

今回は、発売前から話題沸騰!『東大から刑務所へ』の〝はじめに〟を全文公開します!

面白かったら是非、ご購入お願いします。早いとこでは明日から書店に並びます。

エリート二人がムショで学んだ人生哲学が満載の本です。

〝はじめに〟は、カジノで106億8000万円を熔かし、会社法違反の容疑で逮捕され、昨年12月に出所した井川意高氏によるものです。

どうぞ、お楽しみにください!!


はじめに   

刑務所に入って良かったと思っている

井川意高

囚人番号2815番。

この4ケタの数字が、喜連川社会復帰促進センター(喜連川刑務所)で暮らした3年2カ月間、私に付された符号だ。オヤジ(刑務官)から番号を告げられた瞬間、「きれいな数字じゃねえな」と内心毒づいた。

右の2つの数字(1と5)を足し算しても、左の2つの数字(2と8)を足し算しても、いずれも8にも9にもならない。

「バカラ」では「9」が最強だから、「6」では勝負に勝てない。左の2つの数字は合計10だ。10以上の数字は、「バカラ」では1ケタ部分をカウントする。つまり「2」と「8」のカードを引いてしまったら、持ち点は0点と最悪だ。

「弱い数字だな」。喜連川刑務所の出だしは、バカラで言うと最悪の取り合わせであった。

1964年、私は大王製紙の創業家3代目として生まれた。「東証一部上場企業の御曹司」「1200坪の豪邸に住む華麗なる一族」などと、いささかオーバーに私を評する人もいた。裕福な家庭で生まれ育ったことは間違いないとは思う。

だが幼少期から10代にかけての私は、創業家2代目の父から鉄拳制裁も含めたスパルタ教育を受け、厳しく育てられた。東京大学法学部を卒業し、大王製紙に入社してからの私は、創業家の人間だからといって仕事に甘えや妥協を見せたつもりはない。

むしろ創業家の人間だからこそ、厳しく自らを律しながら真剣に仕事に打ちこんできたつもりだ。27歳のときには、売上高200億円で赤字70億円の子会社に放りこまれて途方に暮れたこともある。あのときは岩盤に爪を立てる思いで必死に仕事に食らいつき、赤字体質の子会社の経営を立て直すことができた。

初めてカジノに出かけたのは、30代前半だった96〜97年ころだったと思う。友人家族らと出かけたオーストラリア・ゴールドコーストでのカジノは、ほんの余興程度の軽い遊びだった。

それから10年間、年に数回出かけるカジノでの時間もまた、私にとって人生を棒に振るほどの意味あいはなかった。私の人生が一挙に奈落へと転がり始めたのは、2007年に大王製紙社長に就任してからだ。「ジャンケット」と呼ばれる者のエスコートに乗じてカジノのVIPルームに出入りするようになってから、私の賭け金は常軌を逸した金額へと跳ね上がっていった。

バカラ一張りで3000万円。板子一枚下は地獄。あるときは目の前に20億円相当のチップを山積みし、狂乱の鉄火場でバカラを戦い続けたこともある。あるときは12億、15億という天文学的な勝ちも経験した。限られた者だけが入ることを許されるVIPルームの入り口は、私にとって地獄の釡の蓋だったのだと思う。

勝ったり負けたりで動かした賭け金の総額はいつしか100億円、1000億円どころか、延べで「兆」の単位にまで達していたらしい。「12億円、15億円勝ったこともあるのだ。必ず再びマジックアワーがやってくるに違いない」。種銭など、とうに底をついていた。

ファミリーが株を所有している子会社から億単位のカネを秘密裏に毎週借り続けた。その種銭を元手に、鉄火場で戦い続けた。だが鉄火場の業火は、情け容赦なく私のカネを炙り、熔かし続けた。

そしていつしか、私の負け金総額は106億8000万円にまで到達していたのだ。もはや「カネの沼」は底なしの様相を呈していた。万事休す。2011年11月、私は会社法の特別背任容疑で東京地検特捜部に逮捕される。

裁判では懲役4年の実刑判決が確定した。大王製紙創業家3代目として生まれながら、こうして私は鉄火場からムショへと叩き落とされてしまったのだ。

ムショに堕ちる直前、私はシャバでの人間関係を思いきって断捨離した。懲役4年の実刑をこれから受けるにあたり、これまでの前半生を一度リセットしたいと思ったのだ。

私の携帯電話には、電話番号やメールアドレスのメモリーが1700件入っていた。このうち800件を思いきって消去した。シャバに再び戻ってきてからの後半生は、一緒にいて心から気持ちのいい人、居心地のいい人とだけつきあいたいと思ったのだ。

人間関係を断捨離してからやってきた刑務所での暮らしは、自由なシャバとは天と地ほどの差があった。なにしろ私は有数の進学校から東大を卒業し、創業家の3代目として一部上場企業・大王製紙の代表まで務めた人間である。シャバでは「社長」「会長」と呼ばれ、多くの部下を束ねてビジネスの最前線に立ってきた私が、ここでは犯罪者の巣窟に埋もれている。そのギャップたるや、想像を絶する苦しいものだった。

一方で、3年2カ月の実刑を食らったおかげで、良かったこともある。私の事件によって人生の道筋が大きく変わってしまったり、多大な迷惑をこうむった方も大勢いるだろう。私が気がついていない範囲を含め、事件によって有形無形の被害を受けた方は数多いに違いない。

私に言いたいことがある方も大勢いるはずだ。もし私が執行猶予つき判決を受けていたら、「井川はなぜ制裁を受けず、大手を振って世間にのさばっているのか」と顰蹙を買ったに違いない。その方々に対してきっちりケジメをつけるためにも、最底辺の場所でお勤めさせていただいたことには、大きな意味があった。懲役刑を勤めてきたからこそ、再びシャバを歩く資格があるのだと納得している。

私にとってもう一つ意味があったのは、長年の不摂生を是正して刑務所内で健康体になれたことだ。また、獄中でたくさんの本を読めたことも意味があった。思い返せば私がもつ知識の量は、東大時代が人生のピークだったと思う。社会に出てからは、アウトプットするばかりでインプットする時間があまりにも乏しかった。獄中生活では、苦手だった理系の知識を補塡するために講談社ブルーバックスの本をよく手に取った。

キリスト教、イスラム教、仏教、神道などの宗教や古典、近現代哲学についても、広く浅く一通り勉強し直した。3年2カ月の間に、4年制大学の教養課程で学ぶべき前半2年分の勉強をもう一度やり直せたのだ。そんな話をしたら、娘はひとことこう言った。「3年いたってことは、1年留年したんだね」。〝留年分〞を含めての刑務所での学習の日々は、私の後半生におおいなる恵みをもたらすに違いない。

喜連川刑務所から私が仮釈放されるにあたり、「賭博等が行われている場所に出入りしないこと」という重要な条件がつけられた。満期になる2017年10月2日まで、このルールは厳しい手かせ足かせとなる。

国内の闇カジノなど、違法な賭博場に出入りした瞬間、私の仮釈放は取り消しだ。無論、パチンコ、カネを賭けない麻雀など、違法性のないギャンブルは仮釈放中にやっても一向にかまわない。それすら禁じるとなれば、警察官は日本中のパチンコ店で客を逮捕しなければいけなくなる。

刑務所で凝り固まった体を、リハビリを兼ねて少し解きほぐす必要もあろう。仮釈放中の身でありながら、私は古くからの仲間たちと愉快なゲームに興じてみることにした。

こうして2017年4月30日、私はインターネット放送「AbemaTV」の酔狂な企画「坊主麻雀」に出場したのだ。対戦相手は「たかぽん」こと堀江貴文氏、元競輪選手の中野浩一氏、元関脇の貴闘力氏だ。優勝者には賞金500万円が与えられ、最下位はその場で丸坊主にされなければならない。坊主ならば、喜連川刑務所での定番のヘアスタイルだった。たとえ負けようが、望むところである。

私はシャバで久しぶりの鉄火場に臨んだ。果たして、私はこの「坊主麻雀」で優勝し、500万円を獲得してしまった。2位は中野浩一氏、3位は貴闘力氏だ。ドン尻はたかぽんとなり、彼は長野刑務所時代の丸坊主に逆戻りしてしまった。この戦いは、喜連川刑務所での憂い生活に飽き足りなさを覚えていた私に、たまらなく愉快な刺激をもたらした。 

マカオやシンガポールのカジノで106億8000万円を熔かしたとき、バカラのテーブルにしがみつきながら「オレはまだ負けていない」と心のうちでうめき続けていた。それが決して虚妄ではなかったことを「坊主麻雀」で確認し、私は莞爾として微笑んだ。そして私は内心、独りごちたのだ。

「最後の1円がなくなるまで、ギャンブルの勝ち負けは決まらないんだぜ」

2017年8月2日 懲役4年の満期まで、残りちょうど2カ月を前に記す 

この続きは、本書でお楽しみください!

**堀江貴文×井川意高の壮絶な人生哲学のぶつかり合いはコチラから!! **

                        


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