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全て曝け出せ、共犯者を募れ

※この記事は1月19日に静岡県立大学で行われた講演会『時代の読み方』(主催:COCOA)の内容をまとめたものです。

*前回の記事はこちら

物語に価値を見出す時代

インフルエンサーに編集者自身がならなければならない時代だと考えた背景についてこう語ります。

「単純に本が売れないですよね。普通にやっても売れないから何かで見つかる存在にならなきゃいけなくて。今の時代でいうと、僕が作りたい20代向けの本は、SNS上でそれなりのバズを生まないと亡き者にされるんですよね。

そのときにあらゆる出版社の人が考えるのは、インフルエンサーと言われる、ホリエモンだとかはあちゅうだとかそういう人に本を送ったりして、その人に面白いって言ってもらうことを狙う。『はあちゅうさん読んでください。堀江さんこれ読んでください』って絡んで、面白いって言われるだけでAmazonでガッて順位が上がるから、俺はそれを必死にやってた。

だけど、同時に俺がそのインフルエンサーになれば出す本全部売れるじゃんって思った。そこから俺が発信基地になるって決めて、地道にやってきて今そういう存在になった。これっていきなりなれるものじゃないからそこら辺の編集者が個人の時代だとか言ってて、遅い遅い、それ2年前からやってるよって思って。

あと、編集者は自分が何者かと勘違いしちゃいけないっていう奴らがいて。それは百も承知ですよ、その議論の後だよって。『黒子だと認識しなきゃいけない』とか言うんだけど、『知ってる知ってる、その黒子だと認識して本が売れなくなってます。その後、それじゃ駄目だから編集者がむしろ宣伝マンになって売るんだ』というところに辿り着いているのに、お前なんで時間を巻き戻してんだよって。結局、実践者じゃないやつは茶々言うんだけど、本当に結果を求めていると、この答えに行く。

また、本はあくまでも媒介であって、重視すべきは文脈、ストーリーだと箕輪さんは話します。

「今は機能とか値段はなんでもいいわけですよ。服とかもぶっちゃけ身を守る衣類とした場合なんでもいいじゃないですか。もうユニクロでいいわけで、それ以外の選択肢がなくて、そういうところに巻き込まれると商売あがったりなんですよ。いわゆる、世界的な企業にならないと勝てない。

じゃあ世界的企業じゃなくて、いち編集者の書籍とか普通の会社が人にものを買わせようとすると、そこに買ってくれる人が共感する物語がないといけなくて。人は物語にお金を払うんですよ。『多動力』でいうと、あれが何であんなに売れたかっていうと世代間の衝突や摩擦をうまくネット上に再現したから。

『電話をしてくる奴とは仕事をするな』っていうのは、僕世代とか僕より下の人とかは、上司から電話がガンガンかかってきて、『うわ、うるせーよ。もうメールいいんだよ、ばか』って思ってる。遅刻した時もLINEでいいのに『あ、でもLINEで送るとあいつうるさそうだな。電話しとくか』みたいな。そういう意味もわからないけど、習慣になってるだけのことを強制させられているわけですよ。だから不満がたまっている。

ホリエモンは常にどっちがいいかでしか判断しなくて、常識とか関係ない人だから、世の中の上の世代の人は全員けしからんって思うけど、下の世代の人はよく言ってくれたって思う。そうするとバズるし、共感した側の人は自分の代弁としてそれが欲しいと思うんですよね。ストーリーを作るっていうのは、人の人生とか息遣い的なものを想像して作っていくことって感じなんですよね」

さらに、「完成品に人は響かない」とも話します。

「あまりにもモノが溢れ過ぎているってことがだいたい今のコンテンツの売れない原因になるんだけど、カスタマイズされてないものには興味ないんだよね。大人っていうか企業が作ったものは『はいはい、宣伝』ってなっちゃうんだけど、丸裸で一個人が作ったもので、『あ、わかる』ってなる。

個人的な感情が動かないとやっぱり買ってはくれなくて。そういう意味でいうと作り手の顔が見えるっていうのは最強なわけですよ。例えば、編集者の俺は本当に最近忙しいから会社に朝2時とかに行って『もうこれから落合陽一の原稿やるのやだよ』とか言いながらゲラを写真撮って、朝6時とかに『やっと終わった。死ぬ』とかTwitterで言ってるわけじゃないですか。

そういうの見てるとリアリティがあって、制作物が出来上がる瞬間に立ち会ったような感じがする。それでふらっと本屋さんに行ったときに並んでたら『あ、買ってみようかな』って思うんですよね。そうじゃなくて、ただ『今、落合陽一がすごい』『情熱大陸に出演したあの落合陽一の本』っていきなり広告でても、知らねーよって思うと思うんだよね。そこのみんなを自分の体験にしてくみたいな、丸裸でさらけ出しながら巻き込んで突き進んでいくみたいなのは、今の時代大切ですね、コンテンツとかクリエイティブな仕事においては」

種を蒔く過程を詳らかにする

箕輪さんはフォロワー数を増やす過程について、このように話しました。

「全くフォロワーがいない人が『死ぬ』とか言っててもどうせ誰も見てない、本当に孤独死しちゃう。それって卵が先か鶏が先かで、そういうときを経て大きくなるわけだから。例えば落合陽一の本を作っていま全くフォロワーがいない人でも、それを必死にやってたら落合陽一がリツイートしてどんどんその人にファンが付いていって、次の本も読んで見たいなってどんどん雪だるまみたいに増えていく。

今インフルエンサーであるかは全く問題じゃなくて、やるべきことではありますよね、クリエイターとして。結局誰も完成物には興味ないんで、だから現在進行形から見せるって感じですよね。

別にそういうことやらなくてもいい本出してそこそこ売れるっていうのはあるだろうけど、僕の性格とか含め合ってるからやる。一応僕の本が時代に合ってるからこれだけ売れるんだし、講演会とかに呼んでもらえるし。これが唯一の解だとは思いませんが、これが僕の理論としては今ずっとやってることだなって」

ただ、フォロワー数を増やすということをテクニック論として捉えるべきではないと言います。

「最初はインフルエンサーに相乗りするって発想だった。そのうちにはあちゅうとかイケハヤさんみたいな人が箕輪さんって面白いっていってブログに書いてくれたり、見城さんとか秋元さんが箕輪は面白いって言って、ホリエモンも言って。どんどんいろんな人が言って、フォロワーが増えて。

“誰々が面白いって言ってるから箕輪さんが好き”って人から、徐々に“箕輪さんが面白い”って言う人が増えて。そうなると仕事としてもインタビューが来たり、連載してくださいって言われたりっていうのが増えた。それで、サロンやってまた増えてみたいな。結局は積み重ね。

こういう話するとノウハウ論とかに捉えられがちなんだけど、本当に魅力があるかっていうのと、実績を出すっていう実の部分が大事なんですよね。だから、イケハヤさんとかはあちゅうさんとかと会っても面白いって思われなきゃ、どんな巧妙にやってもあの人たちはブログに書かない。秋元さんも箕輪いいぞと言わないわけだから、結局何者かでないといけなくて。

自分とは何者かみたいのが一番大事で、それがすげーわかってると個性を発揮しやすいんですよね」

(次回に続きます)

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テキスト・編集 / 橘田佐樹篠原舞

写真 池田実加

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