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コミュニティを編集するということ

おはようございます。
突然ですがみなさん、人生に勝算はありますか?

どうも、便乗ミノワです。

佐渡島庸平『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.』

もう読んでいただけたでしょうか?
初日から売り上げ絶好調で、なかなかニッチなテーマでタイトルが英語という売りにくい条件なのに、すこし驚いています。

今日は本の中に収められている、僕と佐渡島さんの対談の一部を公開します。編集者には、対談がめっちゃ面白いと言われます。

どうぞ!

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この章では、NewsPicks Book 編集長で、本書の担当編集者でもある幻冬舎の箕輪厚介さんと、「コミュニティを編集する」というテーマで話し合った。

コミュニティを運営する方法は、こんなにもコミュニティが溢れていて人間に絶対に必要なものなのに、びっくりするほど少ししか文献がなく、確定的な情報がない。

対談は、拡散的になりやすく、情報が整理されていないが、その分、コミュニティについて考えている人には、思考の基になる言葉が出てくる可能性がある。

だからあえて対談のまま掲載する。

コミュニティを運営することこそ編集という行為

佐渡島 僕と箕輪さんに共通しているのは、編集者でありながらオンラインのコミュニティを運営していること。僕は「コルクラボ」を2017年1月に立ち上げましたが、箕輪さんもすぐにコミュニティを作り始めた。

箕輪 僕がオンラインコミュニティの「箕輪編集室」を作ったのはその年の6月でした。

佐渡島 最近ではコルクラボについて発言する機会も増えたから、「最近、佐渡島はコミュニティに関することばかり言っているけれど、もう編集には興味がなくなったのではないか」と言われることもあります。でも、実はコミュニティを運営するという行為は、限りなく編集という行為に似ていると考えています。

だから、インターネットの世界に対応した「編集者2・0」になろうとすると、必然的にコミュニティプロデューサーにならざるを得ない。自分の中では、コルクラボの立ち上げは、これまでの延長線上のことなのです。そして、じっくりと数年間かけて実行に移したのが僕だとしたら、勢いよく半年ぐらいで一気に立ち上げてしまったのが箕輪さんです。

箕輪 確かに。佐渡島さんと違って、僕は完全に勢いでしたから(笑) 。

佐渡島 これからの編集者はコミュニティプロデューサーにならざるをえない。このことを説明するためには、そもそも僕らが編集者を目指した原点を語る必要があります。

僕は中学時代を南アフリカで過ごし、本ばかり読んでいる少年でした。帰国後、灘高校に進学した後で、 「中国近代文学の祖」といわれる魯迅が作家を志したストーリーを知ります。魯迅はもともと医者を目指していたのですが、ある日映画館に足を運び、日本兵が中国人を殺している戦争のニュース映像を、周囲の中国人がゲラゲラと笑いながら見ているシーンを目撃しました。魯迅は周囲の無学さに衝撃を受け、 「中国に必要なのは単なる医療ではない。心の医療だ」と考え、文学の道を目指しました。

僕の周囲でも、灘高校には医者を目指す同級生が多かった。でも僕は、魯迅のように「世の中のあり方や、人々の心のあり方を変えたい」という思いが強く、本に携わる仕事をしようと思ったのです。

その後、講談社で編集の仕事に就きましたが、痛感したのは「本は届かないと意味がない」ということでした。どんなにいい作品ができても、人々が手にとってくれなかったり、理解してくれなかったりしたら、単なる自己満足に終わってしまう。

人の心を変えることはできない。だから、とにかくわかりやすいストーリー、わかりやすい内容を追求して、届けることを重視しました。

でも、だんだん世の中に出回る情報が増えていくと、わかりやすいだけでは作品が読者に届かなくなっていった。この壁を乗り越える方法を考えていたところ、情報爆発の時代だからこそ、身近な人が「これはいい」とコメントしている本が、手にとられることに気づいたのです。身の回りの推薦だけが影響をおよぼすというのは、一周して、本がほとんどない時期と同じになったということ(笑) 。

つまり、本は一人ひとりのファンが、バケツリレーみたいに手渡しで広げていくものであり、多少わかりにくい内容でも、むしろそこから議論が深まっていく。そこで僕は、作品の愛好者を「コミュニティ」として組織することを考え始めたのです。

最初の火を起こすためのコミュニティ

箕輪 佐渡島さんの根本に「作品を届けたい」という強烈な思いがあるとしたら、僕には全然違う動機がありました。要は「とにかく世の中をあっと言わせたい、バズらせたい」という思いです。

それを実感したのは、大学生のときでした。当時、インドを一人旅していたのですが、トラブルに巻き込まれ、汚い小屋に監禁されて殺されそうになりました。そのときは命からがら脱出したのですが、安全な場所でまず感じたのは「今すぐネットカフェに行って、このことをミクシィの日記に書きたい」という思いでした。

同じような目に遭ったときに「こんな世の中はおかしいから、治安を守る人になろう」と感じたら、検察官や警察官を目指すと思います。でも僕は、第一感で「このことをネタにして伝えたい」と思った。そういった性格が生きる仕事として、テレビのプロデューサーや雑誌の編集者を目指して就活をして、出版社の双葉社に入ったのです。

双葉社では当初、広告部に配属になったのですが、当時世間を騒がせていた「ネオヒルズ族」の与沢翼さんと知り合いになった。そこで彼から3000万円の広告費を受け取って『ネオヒルズ・ジャパン』という雑誌を作りました。編集部の人が誰も やりたがらなかったから、ルールや常識もわからず写真家のレスリー・キーさんなどを無謀にも口説いて、起用するなどしていたら、尖りに尖った雑誌ができました。

すると、発売日当日に与沢さんがドライバーへの暴行容疑で書類送検された。それまで社内中の人から「与沢は怪しいんじゃないか、大丈夫か」と言われ続けていたから、僕は「やってしまった」と恐怖を感じました。でも、お世話になっていた先輩が「先に社長室に行って、 『戦略です』と言ってこい」とアドバイスしてくれたから、その通りにしたら、社長から「そうなのか、お前すごいな」と言われて、ことなきを得た。

『ネオヒルズ・ジャパン』は与沢さんのニュースとあいまって、バズりにバズり、3万部が完売しました。その騒ぎがすべて快感だった。そこで悟ったのは、僕にとっては正しいものが伝わることはあまり関係がなくて、世の中をあっと言わせるのが好きだということでした。

佐渡島 聞けば聞くほど、僕とは正反対だ(笑)。

箕輪 そうなんです。その後、編集部に移って見城徹さんの『たった一人の熱狂』や堀江貴文さんの『逆転の仕事論』を編集し、その縁で幻冬舎に移籍しました。幻冬舎では再び堀江さんと仕事をする機会を得て、2017年5月に『多動力』を出したのです。

そこでは、必死に『多動力』を売っていこうとする中で、HIUのメンバーを巻き込むことを思いつきました。20人ぐらいに『多動力』のゲラを渡し、 「電話をかけてくる人間とは仕事するな」といった、本に出てくるキャッチーなフレーズをスマホで撮影してもらい、ガンガンTwitter にアップしてもらった。

すると、本の発売前からバズを起こせて、発売後に圧倒的な初速で数字が伸びていった。そこで、堀江さんの本が売れるときは、まずは堀江さんを好きな層に火がつき、堀江さんの本は普段買わないけれどビジネス書は読む層に広がり、もっと広い読者層に延焼していく流れに気づいたのです。

そのときに重要なのは、最初の火を起こすところです。堀江さんのファン層というコミュニティに着火することが肝でした。だからこそ「僕自身が最初の火を起こすコミュニティを持っていたら最強なんじゃないか」と考え、6月に箕輪編集室を始めたのです。

佐渡島 箕輪さんの場合は、「編集者にコミュニティが必要だ」という仮説があったのではなく、まず先に「堀江さんのファンを巻き込んだら、発売前に話題になった」という成功体験があったわけですね。それですぐに、行動に移した。箕輪さんを見ていると『多動力』に書いてあることをそのまま忠実に実行しているように思えます。

箕輪 本当にそうです。本を一冊作ると、内容が自分に憑依してしまう。コミック版の『多動力』の主人公は、本当に僕なんじゃないかと思いますから(笑) 。

佐渡島 僕にも似たところがあります。 『ドラゴン桜』を編集したときは、登場するすべての勉強法を試しましたから。僕らは世間から「自分を持っている」と思われているかもしれませんが、本を作るという行為に関しては、自分を持っていない。その証拠に、本の内容を素直に真似しますから。逆に、自分が真似られないことは、著者と話し合って修正したり、消そうとするんです。

箕輪 わかります。 『多動力』の場合も、1ページでも個人的に「違うなあ」ということが書いてあると、気持ち悪くて世には出せない。腹落ちすることだけを盛り込んでいる感じです。

佐渡島 別に僕らが作者をコントロールしているわけではないけれど、作者の中にあるものを、自分がほぼ100%理解してからでないと、出したくない。一回自分のフィルターを通すことで、編集者らしさも出るし、読者にとってもわかりやすいものができると信じているんですよね。

あえて余白を作る

箕輪 ちなみに佐渡島さんが最初にコルクラボを作ろうと思ったのは、本のプロモーションがきっかけだったのですか?

佐渡島 もともと2012年にコルクを立ち上げたときから、濃密なファンのコミュニティを作ろうという構想があって、まずは『宇宙兄弟』ファンのSNSコミュニティを作りました。それは結構うまくいったのですが、あくまでも「運営者とお客さん」という、 「1対N」のコミュニティの域を出なかった。

次に目指していたのは、メンバー同士が自発的に活動する「N対N」のコミュニティです。しかしこうした場は難しい。人間同士が集まれば、いろんなトラブルが起きます。コルクを立ち上げてから、僕はありとあらゆるトラブルを目の当たりにしてきました。僕が全く不満に思わないことを不満に思って、動けなくなる人もいた。

もし作家のコミュニティで同じことが生じると、一番悲しむのは作家です。それは避けたい。そこで、人間が集まったらどんなトラブルが生じるのかを慎重に観察しようと思い、ある種の「混乱を起こしていい場所」としてコルクラボを作ったのです。

どういう言い方をすれば摩擦が起きず、どういう言い方だとトラブルにつながるのか。仮説を立てて検証する作業を黙々と繰り返しています。

箕輪 以前に話を聞いたときも思ったのですが、佐渡島さんは本当に粘り強いですね。

佐渡島 そういう性格なのかもしれません。僕はかねてから、いいコミュニティの条件は「入口のハードルが高く、出口のハードルが低い」ことだと言っています。コルクラボでも、 「ここは編集を学ぶ場ではありません」 「自分で行動を起こさないと放置されます」と事前にしっかりと説明します。実際はコミュニティ運営を通じて編集を学ぶことができるのですが、そうしたハードルを課しても入ってくる人にメンバーを限定したほうが、コミュニティ全体の感度が高まると考えているからです。

箕輪 そうして集まった人たちは、最初にやることはわかるものなんですか?

佐渡島 実は、わざとわかりにくくしています。これまで実験した結果、人は第一歩が明確に見えないと立ち往生してしまうことを、僕は理解しています。それでもあえてそうしているのは、僕が完全に設計したものをメンバーが楽しむ形にすると、それは教師型、学校型のコミュニティと同じで、メンバーが受動的になってしまうからです。

そうではなく、あえて余白を作ってメンバーに自由に活動してもらうことで、彼らを「お客さん」ではなく「共犯者」にしようと考えています。

箕輪 キングコングの西野亮廣さんも「共犯者の数が作品の強さを決める」と話していますね。

佐渡島 それと同じです。本には「目次」と「はじめに」がありますが、それをコミュニティに当てはめると、 「目次」は活動内容のリスト、 「はじめに」はコミュニティの目的に該当します。通常のコミュニティでは、中心となる数名が「目次」と「はじめに」を提示して、他の人はその流れに沿って楽しんでいくのだけれど、コルクラボでは「目次」も「はじめに」も提示していない。

混乱の時代を経て、メンバー全員が自然に「目次」と「はじめに」の必要性に気き、作り始めるタイミングを待っているのです。そこでやっと、アクセルを踏んで一気に会員を増やそうと考えています。

(つづく)



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