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【日刊みの編NEWS】『また、無人島に行ってみたくなった』というヘンテコな超短編小説を書いてみた

おはようございます。箕輪編集室運営担当のトムさん(村田敏也)です。 
11月4日 (水)の日刊みの編NEWSをお伝えします。

超短編小説の第2弾です。10月25日の箕輪さんの「明日、無人島に行きます」をみて「非日常っていいな」と思いました。そして、昔、無人島に行っていたことを思い出して書いてみました。「非日常を楽しもう」という内容です。最後まで読んで頂けたら、めちゃくちゃ喜びます。

『また、無人島に行ってみたくなった』

今から約40年近く前の1981年か1982年のことだったと思う。

「徳島に無人島というシークレットポイントがある。行ってかみないか?」

植田くんが、突然、そんな話を持ち出した。その無人島というシークレットポイントは、こんな感じだ。

徳島の由岐の漁港からほんの数キロ離れた小さな島にパドリングをしていく。島の入り口は波もたたない砂浜。その砂浜から小高い林の中を通り抜けて、島の裏側に出る。そこは岩場で、グーフィーの波が、浜辺からみると左から右に綺麗に順番に崩れていく。波が頭を越えるぐらいになればチューブを巻く。そして、波が立つのは、大型低気圧か台風が北上して、四国沿岸のポイントがクローズアウトしたときだけだった。

ぬの島①

出典:Google Map

どうやら、そのポイントは、基本ローカルオンリーで地方からのサーファーは「立ち入り禁止」らしい。漁港にサーファーらしき車があれば、ローカルが来ている証拠だ。ぼくたちは、無人島に行くのを諦めるしかない。

そんな片岡義男の小説に出てくるような世界を思い浮かべながら、僕たちは、非日常の夢のような世界にワクワクしていた。

それから数か月たったある夏の日、台風が北緯20度に接近しようとしていた。太平洋岸にうねりが届く。ぼくたちは、徳島の無人島行きを決行することにした。

今では、本州から四国に行くのに本州四国連絡橋がかかっているが、当時、そんな橋は、まだなかった。大阪南港、もしくは、神戸港青木から徳島港へフェリーで行くことになる。そのフェリーの名前は「徳島阪神フェリー」で、関西汽船、共同汽船、共正汽船の3社により共同運航されていたが、1995年1月、阪神・淡路大震災の影響で、神戸航路を休止、1998年4月明石海峡大橋の開通により廃止された。

ぼくたちの徳島での常宿は、海部郡海陽町の「水床旅館」だった。基本的には素泊まりだった。今もあるのだろうかと「水床旅館」をGoogleで調べてみると「廃墟検索地図」というサイトに説明があった。そこには、「2012年時点でやや朽ちた状態となり、建物全体が蔦で覆われていた。2017年12月時点で現存するが、解体準備が進められているらしい」とあった。

こうやって、ぼくたちの青春の思い出はどんどん消えていくと思ったら寂しくなった。

四国での始めの数日は、徳島の宍喰や高知の生見、尾崎などのポイントで波乗りをした。

台風が北上してくると波が高くなる。そうなれば、上級者は、これもまたエクスパートオンリーの海部川河口の海部ポイントを目指し始める。海部ポイントは、ポイントブレークで、波が立つと、ほぼローカルや上級者で独占されてしまう。

「そろそろ無人島にも波が立ち始めるだろう。明日の早朝、決行しよう」

と植田くんは言った。その夜、ぼくたちは、夢のような島のことを話しながらも、ドキドキしてなかなか眠りにつくことが出来なかった。

翌朝、サーフラックに板を積んで、由岐の漁港を目指した。初めての場所は、小学生の遠足旅行のようにワクワクして、車から外の景色を眺めながら、次に来る時のために必死で道を覚えた。漁港に着けば、ローカルのサーファーらしき車はなかった。たとえ、ぼくたちが、先に島に上がっても、後からローカルが来たら、僕たちはさっさと海から上がらなければならない。海を愛するローカルをリスペクトする暗黙のルールだった。

漁港から無人島までは20分ほどパドリングをして行かなければならなかった。たまに、漁港と無人島の間を漁船が通るので、そのときは、板に座って漁船が通り過ぎるのを待つ。

20分のパドリングで、腕にちょっとした疲れを感じながらも、波も静かな無人島の砂浜に到着した。ポイントは小高い林の向こう側である。林の中には、草木を押しつぶして人が歩いた形跡がある。波のある日、ローカルたちがこの道を歩いたのだろう。

無人島の反対側近くにまで来ると、ゴロゴロと不気味な音が聞こえてくる。それは、岩や玉石が波に揉まれて海底を行き来する音だった。波が立たなければ、そんな音が聞こえるはずがないから、波があるのは確かだ。しかし、どんな波だろうか。とてつもなく大き過ぎる波ならば、そこは岩場なので、ワイプアウトして、海底に叩きつけられると大けがをするかもしれないのでとても危険だ。

林道を抜けると、とっても青い海が見えた。波頭が白くたち、砕けている海があった。そこで見そのた光景は、一生忘れることはできないものだった。

左手には奇岩がそびえ立ち、確か松の木が数本突き出したように生えていたと思う。波はムネからカタのサイズ。ぼくたちには、ちょうどよいサイズの波が奇岩の方から右手にコンパスで円を書くように崩れていく。風は、無風で、波面はツルツルで、パーフェクトなグーフィーの波だ。サイズが大きくなると小さなチューブが巻くときもある。

ぼくたちは、じっくりと、波の崩れ方を観察した。そして、パドルアウトの道順を決めたら、次々と海に入る。初めて入る海は、なにかと緊張するものだ。足元では、岩や玉石がゴロゴロと音を立てて波に揉まれている。夏なのになぜか、水はひんやりして冷たい。右手前側から、パドルアウトして、波が崩れる側に移動して、板に座って、波待ちをする。今度は、海の上で波の崩れ方を観察する。初めての海はとてつもなく慎重になる。

そうこうしているうちに、植田君が、大きめの波を捉える。波の後ろからみると、彼の頭が、波頭から見えたり見えなくなったりする。アップダウンしながら波を捉えているのがわかる。心を決めて次のセットを待つ。セットの一本目は、伊藤君に譲り、二本目の波をとらえようとパドルを開始する。

波の斜面をぼくの板が走り始めた。そして、テイクオフしようとした瞬間、ほれた波の下から、岩がひょっこりと顔を出してきた。慌てて板を持ち上げてテイクオフを諦めた。実際は、波はその岩の上を通り過ぎるので、その岩に直撃することは無いのだが、やはりびっくりしてしまった。

テイクオフするときには、ボトムから岩が見えることがわかったので、次のセットを待つことにした。

次のセットのちょうどよいサイズの波をつかまえる。また、ひょっこりと岩が現れたが、テイクオフする時にはその岩を通り越していた。

岩に気を取られてしまったのだろう。若干テイクオフが遅れた。板に立って、ボトムに降りた時には既に波がせせり出していたので、急いでボトムターンをしてプルアウトをしようとしたら、ちょうと崩れる波がチューブ状になり、ほんの数秒だが、そのチューブ状のグリーンルームに入った。

そのチューブの中は、言葉で言い表せないぐらいのとても綺麗な緑色をしていた。そして、板はそのまま波を突き破り、ぼくは、波の裏側に出た。

「何だったのだろうか? あの空間は・・・」

太陽の光がチューブの中まで届いていて、今までも見たことのない色をしていた。そして、なんだか、とっても幸せな気分になった。

それから、何本かのパーフェクトなグーフィーの波をロングライドすることができた。みんなで、数時間楽しんだあと、また小高い林の中を戻り、波静かな砂浜から、20分ほどパドリングをして漁港に戻った。みんなの顔には、満足の笑みがこぼれていた。よくある話だが、行きは長く感じるけれど、帰りは短く感じるものだ。

そんな数時間の非日常を楽しんで、また、ぼくたちは、いつもの生活に戻ることになった。

ぬの島②

出典: Google Earth

ぬの島③

出典: Google Earth

ちなみに、この話に出てくる島は、室戸阿南国定公園に属し、実在するもので、数年前に2億円で販売されたらしく、今では所有者がいるようです。

さて、箕輪さんの無人島では、どんな非日常の物語があったのだろうか? 近い将来、どこか無人島に「サウナランド」ができるのかもしれない。

あなたも、こっちの世界で「非日常」を楽しんでみませんか? 箕輪編集室は、そんなこともできることろです。

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テキスト / トムさん(村田 敏也)

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